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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.669 2020.3.14  

「 アイアンマンの行方(2) 」

(前回の続き)

DDT大阪二連戦の二日目、本日のオープニングマッチは前日の山下りな戦(おきばりやす七番勝負第3戦)に続き、赤井沙希ちゃんのシングル戦でした。
我が地元で、しかも二日連続で沙希ちゃんのシングルが観られるとはありがたや、ありがたや(涙)、しかも対戦相手は難敵・大石真翔選手でした。
別にご本人に確認したわけでは無いですが、沙希ちゃんにとって大石選手は苦手な相手では?とずっと思い込んでいた私、大阪やニューヨーク、過去に私が目撃した、沙希ちゃんがアイアンマンのベルトを落とした時は、たいていこの大石選手にやられていたからです。昨年のニューヨークなんて、一夜で三回同じ相手にフォール負けでしたからね(苦笑)。
例えるならジャイアント馬場に対するモンゴリアン・ストンパーのような存在(ちょっとマニアック過ぎるか 笑)、そんな文字通り“赤井沙希キラー”とのシングルマッチ、沙希ちゃんは「私にとっては七番勝負級の試合」と意気込んで挑みましたが、やはり巧みなインサイドワークに翻弄され、無念のフォール負けとなりました。
まだまだ壁は高いですが、いつか乗り越えて欲しいです。
赤井沙希VS大石真翔戦 こちらをクリック

さて、本稿のテーマであるアイアンマンヘビーメタル級王座の行方ですが、前日に沙希ちゃんの手を離れ、紆余曲折の末に最後にベルトを奪ったのはゆに選手でした。
そのゆにはこの日の第2試合のタッグマッチに出場しましたが上野勇希選手にフォール負け、またもや王座が移動しました。タイトルマッチであろうが無かろうが、全ての試合でベルトが懸かるアイアンマンの性質ゆえの移動劇です。
休憩時間に新王者となった上野選手のチェキ会があって写真を撮らせて頂きましたが、前日の山下りな選手と言い、沙希ちゃんとのベルトツーショットを悲願としている私にとっては皮肉な結果ばかりが続きます(苦笑)。
すぐそばでは、沙希ちゃん&新ユニットの仲間、坂口征夫&樋口一禎選手がサイン会をやっていたので思わず「(王者が)油断している今がチャンス!」とけしかけましたが「レフェリーがいないと襲い損になっちゃうんですよ」(笑)。
ところでこの時点ではまだ名前の無かった新ユニット、「何か良い名前考えたら?」と話を振ると「うふふ、実はもう決まってるんですよ。」と嬉しそう、正式お披露目はユニットの第一戦となる26日・後楽園となりそうでしたが、売り出し中のお笑いコンビ「ぺこぱ」の名付け親としても知られる沙希ちゃんのセンス発揮間違いなし?楽しみが増えました。

結局アイアンマンの行方はと言いますと、全試合終了後に上野選手に襲いかかり平田一樹選手が王座奪取、さらにそこを大鷲透選手が襲い、漁夫の利で最終王者となりました。
(あ〜、沙希ちゃん出てきてくれなかったなあ)とがっかりしていたら、売店で再びサイン会の為に現れた沙希ちゃん、やはり売店にいた大鷲選手の後ろを通過!
思わぬニアミスに私たち一部のファンがまたしても(小声で 笑)「今だ!襲いかかれ!」とけしかけるも、やはりレフェリー不在につきやんわり拒否られました(苦笑)。
そう言えばあまり沙希ちゃんが試合後に奇襲をかける事って無いなあ…京の女は奥ゆかしい(笑)? 「いや、行く時は行きますよ!」
果たしてアイアンマンベルトを持ってのツーショットが実現するのはいつの日か…。

すみのえ舞昆ホールで二日間に渡って行われた大会、二日目は実は昼夜興行で夜には同じDDTグループのガンバレ☆プロレスの大会が行われ、こちらも観戦しました。
つまりは二日で三大会、我ながら呆れますが(苦笑)何しろこちらには”邪道“大仁田厚選手が参戦ですから見逃せません。
ガンプロ代表・大家健選手と組んでの「ガンバレ☆大仁田大家☆プロレスリング旗揚げ戦」(これって新団体!?)、さらに土壇場になって大仁田選手が「法事で欠場」、代わりにグレート・ニタの出場が決まり色めき立ちました。
大晦日のレッスルワンでは叶わなかったたニタの大阪復活が僅か二週間後に実現するとは!!
因みにグレート・ニタは2013年10月にも大阪に登場していますが、その時は何故かサイン&撮影会のみで試合は大仁田厚が出場しましたので(FILE No.347参照)ニタの大阪での試合は2003年5月・WJでの馳浩戦(当時二人とも現役国会議員で話題となった)以来、実に17年ぶりです。
試合前、場内をうろうろしているとDDTの木曽レフェリーとすれ違ったので「お疲れ様です。」と会釈すると不思議そうな顔で「あれ、どうしたんですか?今日は赤井さん出ませんよ。」 私は沙希ちゃんだけじゃないっての(苦笑)。
17年ぶりの大阪、メインの6人タッグ戦で凶器の鎌を振り回し狂乱ぶりを発揮、場内をニタ・ワールド一色に染めたグレート・ニタでしたが、こうなったら何が何でもグレート・ムタとの試合実現を期待しています。
試合後は売店に直行、そのままサイン&撮影会が始まりましたが、出来る事ならニタのツーショットは試合前の方が良いですね〜(私が経験した過去二回は試合前)、試合後だと折角のペイントが剥げてしまうからです(苦笑)。
ニタ大阪復活戦 こちらをクリック
この日のツーショット集 こちらをクリック


赤井沙希からグレート・ニタまでバラエティーに富んだ二日間でしたが、初日の試合中に衝撃的なニュースが飛び込んで来ました。
SNSで「ケンドー・ナガサキこと桜田一男さんが亡くなったらしい?」という噂が駆け巡ったのです!
びっくりしたものの、その時点では(まさか?誤報だろう)と信じられませんでした。
何しろわずか一週間前、「東京魂」ですこぶるお元気な姿を拝見したばかりなのですから、(FILE No.667参照)信じろと言う方が無理な話でしたが、そうは思いつつも胸騒ぎがして、なにか情報が無いかと何度も検索したものの成果は有りませんでした。
桜田さんとはFBで友だちになっていましたので、迷った挙句思いきって「桜田さん、お元気でしょうか?」とメッセージを入れてみましたが無反応…どんどん不安感が募る中、急死されていた事がその日のうちに確定情報として発表されたのです…。

ケンドー・ナガサキのリングネームで、日米を股にかけて暴れまわった桜田一男さんの試合を初めて生観戦したのは83年1月13日、全日本プロレスの大阪大会でした。
この時はナガサキではなくマスクマンのドリーム・マシーン(前年10月の来日時と同じギミック)としての参戦で、ジプシー・ジョーとコンビを組み、ジャンボ鶴田、阿修羅・原組とのタッグマッチでした。試合はジャンボが桜田さんにフォール勝ちしましたが、今回の桜田さんの死去であの日のタッグ戦のメンバー全員が旅立った事になります…。
その後、新日本、FMW、SWS、NOW、大日本と戦場を変えた桜田さんの雄姿をずっと追いかけて来ましたが、実際にお会いしてお話をさせて頂いたのは4年前のトークイベントが初めてでした。
それから何度となくイベントに参加するうちに顔を覚えて下さり、先方から声をかけてくださるようになりました。

 クリックで拡大
 超貴重なケンドー・ナガサキこと桜田一男さんの
サイン入り手型&足型

二年前のトークイベントでは質問コーナーで手を挙げると「あっ、どうも!いつもありがとう。この方、いつも来てくれるんだよ。」場内の視線が集まり恥ずかしかった事を思い出します(苦笑)。
昨年5月のイベント前にご挨拶した時には「ねえ、名刺ちょうだいよ。」と先方から連絡先の携帯番号を教えて下さり「今度上京したら飲みに行きましょう。」と言ってくださいました。社交辞令をすぐに真に受ける程こちらも厚かましくないので遠慮していたのですが結局、船橋在住で桜田さんと懇意にしていたファン仲間が音頭を取って下さり、6月と10月に桜田さんを囲んでファン有志での飲み会(通称・桜田会)が実現しました。
最後にお会いした5日も「また飲みに行きましょう。」と盛り上がっただけに無念でなりません(涙)。
結果として最後となったツーショットはイベントのタイムテーブルの関係で、私が最初に観たドリーム・マシーンだった事が因縁めいたものを感じさせましたが、在りし日のツーショット集を全公開し、桜田さんのご冥福を心よりお祈り致します…。
追悼・桜田一男さんツーショット全集 こちらをクリック

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