FILE No. 897 「天龍革命~Revolution」
「天龍革命~Revolution」
6月前半のネタですが、“ミスター・プロレス”天龍源一郎さんにお会いする事が出来ました。天龍さんとのご対面は2022年7月の佐々木健介さんとのトーク以来約2年ぶり、実はその後9月にはグレート小鹿さんとのトークが開催予定でしたが、直前に天龍さんが緊急入院され中止を余儀なくされたからです。その後も入退院を繰り返されたものの昨年6月には無事退院、今年の3月にはスタン・ハンセンとのトークが実現しましたがそちらは所用で無念の欠席となりましたので、本当にまる2年ぶりでした。
再会を楽しみにする一方で、強くて格好よくキップの良い全盛期の天龍源一郎を見てきた者として衰えた姿を直接見たくないという思いも正直あり、何とも複雑な気持ちで当日を迎えました。しかし天龍源一郎はやはり天龍源一郎、車椅子姿を見るのは正直痛々しかったもののご本人はすこぶる元気で明るく、天龍節も健在で嬉しかったです。
先ず8日に行われたのが浅草のマルベル堂での天龍同盟のスタジオ撮影会、主催者側が用意の阿修羅・原(故人)バージョンの青色Revolutionジャケットを着て、スタジオでプロカメラマンによる記念撮影と言うファンには涙モノの企画でした。
そして実は私この日の為にもう一つ、天龍さんがWAR時代に着用されていた本物のrevolutionジャケットを持参しました。
これは、昨年2月の天龍プロジェクトの大会で争奪バトルロイヤルに優勝した新井健一郎選手に優勝賞品として授与されたもので、その後天龍さんのお見舞いの為に行われたエイド・オークションに新井選手が出品、大接戦の末に私が競り落としたお宝です。
その後は川田利明さんも加わってスリーショット、さらに最後は川田さんとサムソン冬木さん(故人)のフットルースを再現したツーショットもありました。
フットルースと言えばリング上から客席に投げ入れていたバンダナが懐かしいですが、川田さんは今更と恥ずかしがって着用を拒否していました(笑)。
翌日は舞台を北沢タウンホールに変えて天龍さんのトークイベント、それもこれまでのようなトークバトル形式でなく、独演会と称しテーマを決めて単独で語り尽くすと言うマニアックな企画がこの日から新たにスタートしました。
今宵のお題はずばり、天龍の代名詞でもある「Revolution」、そう1987年6月にスタートしたプロレス史に残るムーブメント、「天龍革命」が取り上げられました。
当時天龍は全日本プロレスのエース・ジャンボ鶴田、元横綱・輪島大士、2代目タイガーマスク(三沢光晴)(いずれも故人)らと全日本正規軍として戦っていましたが、好敵手であった長州力が離脱(新日本プロレスに復帰)すると戦いのテーマを失い迷走していました。
観客も減る中、会社も選手も危機感を持たず、ただ淡々と試合を続けている(天龍にはそう見えたのだろう)状態に業を煮やした天龍は「現状は現状として受け止めなければならないけど、お客さんには常にフレッシュ感と強いインパクトを与えていかないと失礼だ。
ジャンボの背中は見飽きたし、輪島のお守りにも疲れたよ。だから俺はジャンボや輪島と戦いたい!」と宣言、これにやはりテーマ無き戦いを続け飼い殺し状態だった阿修羅・原が共鳴し、ここに“龍原砲”が誕生しました。さらに若手の川田利明、サムソン冬木、小川良成が合流して“天龍同盟”として戦力を拡大して、全日本軍や外人選手との試合は白熱化、天龍革命によって全日本の興行人気は飛躍的にアップしたのです。
トークでは約3年に渡った天龍革命(龍原砲結成から天龍同盟解散まで)について天龍さんが赤裸々に語り、私も含め集まったファンは懐かしい青春時代を振り返るように熱心に耳を傾けました。
馬場、鶴田に次ぐNO・3と言われた天龍さんが後にミスター・プロレスと称されるほどのプロレス界の第一人者となる礎となったこの3年間は自身にとってもプロレスラーとして最も充実していた時代だったのでしょう、ジャンボ鶴田との頂上決戦、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディを加えた三冠ヘビー級統一戦、全日本を代表して新日本プロレスとの対抗戦への出場、日本人として初の馬場からのフォール勝ちと、持ち時間がオーバーする程の熱弁が続きました。
そして、個人的に私が一番印象に残ったのが阿修羅・原解雇事件の時の話でした。
88年世界最強タッグ決定リーグ戦の開幕戦当日(11月19日)、馬場は緊急会見を行い「金銭面でのルーズさ、生活態度の悪さが会社にまで迷惑をかけかねないから。」の理由で、前日18日付けで阿修羅・原を解雇をした事を発表しました。
借金取りが試合会場にまで押しかけて来る有様だったと言うのでやむなしの感はありましたが、最大の盟友を失った天龍はマスコミに「てめえの女房が浮気したからって話を聞きに来るのか!?」と憮然として吐き捨てて後はノーコメント、この日からスタートするリーグ公式戦は原に代わって急遽川田がパートナーを務めました。
あれから早や35年、天龍さんはその時の事を思い出すと未だ無念の思いがあるようで、「馬場さんがちょっとキャピトル東急に行く回数を減らせば良かったんだよ。」とポツリ…馬場さんが東京にいる時はほぼ毎日キャピトル東急で食事をするのはファンにも有名でしたが、ようはそんな贅沢する金があるなら一時的に借金を肩代わりしてやってでも原を助けてやるべきだったと言う皮肉です。
組織を守りけじめを付ける為、断腸の思いで原を切った馬場さんの気持ちは理解できますし(一応私も同じ経営者の立場ですから)一方で天龍さんの言い分もわかります。勿論ファンの立場でも当時本当にショックで「もう少し何とかならなかったのか?」の思いは残りました。いずれにせよ、この時芽生えた不信感が2年後に起こる天龍退団(SWSへの移籍)への伏線となったのは間違いありません…。
トーク終了後にはサイン会もあり、写真のパネルにサインを入れて頂きましたが、前述のジャケット同様、実はこちらも天龍さんのエイドオークションで赤井沙希ちゃんが出品したのをゲットしたものです。沙希ちゃんは引退直前の天龍さんが最後にタッグを組んだ女子選手で(2015年8月23日 両国、高木三四郎とのトリオ)このパネルはその時のものですが、昨年入手した時には天龍さんのサインが入っておらず、1年3ヶ月越しで完成形となりました。
天龍さんの独演会は今後も様々なお題で続いていくそうですが、中止になったままの小鹿さんとの再会、赤井沙希ちゃんも「天龍さんに会いたい。」と熱望していましたので是非こちらも実現して欲しいです。
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