FILE No. 908 「第3期ウルトラシリーズ(6)」

FILE No. 908 「第3期ウルトラシリーズ(6)」

「ザ☆ウルトラマン」「ウルトラマン80」生誕45周年記念

(前回からの続き)

主人公・矢的猛が中学校教師の設定を途中で捨て、路線変更を繰り返した「ウルトラマン80」は遂に最終回を迎えました。
猛をUGMにスカウトした隊長のオオヤマが、猛の正体がウルトラマン80である事を知ってしまい、いつまでもウルトラマンの力を借りている自分たちの非力さを反省、猛にもう変身しないよう懇願し、人間の力だけで怪獣を倒す事に成功、最後は皆で送別会を開きウルトラの星へと帰還する猛とユリアンこと星涼子を送り出すと言う、過去のウルトラシリーズには無かった爽やかな幕切れでとにかく泣けました(涙)。
実は放送延長、あるいは後番組として新しいウルトラマンをやってくれるかも?の淡い期待感はありましたが、「刑事犬カール2」が始まると知った時は力が抜けました。
「80」の視聴率も「ザ☆ウルトラマン」同様、最初こそ好調だったものの(最高は第2話の18・7%)その後は低迷、全話平均では二ケタを維持するのがやっとだったのでシリーズが続かなかったのもやむなしですが、この不振の責任問題から円谷プロとTBSは対立し、円谷の人間は一時期TBSの役員室に出入り禁止になったそうで、これがその後16年もの長きに渡りウルトラがブラウン管から消えた理由でした。
結局、劇中では最後まで学校が消えた理由の説明はありませんでしたが、後年円谷プロのプロデューサー・満田かずほ氏が語ったところによれば、テレビ局側からは常にスポンサー獲得の為「何故今ウルトラマンなのか?」の大義名分が求められており、先生の設定が無ければ番組自体が実現しなかったかもしれないとの事でした。一方円谷プロは従来通りのコンセプトでやりたいのが本音で、先生ものとしていざ始まってみるとストーリー作りの難しさや前述のロケ場所の制約などもあり、自然にUGM編へとシフトしていったそうです。

冒頭で「第3期ウルトラシリーズと言う呼称自体、定着しなかった」と記したように、「ザ☆ウル」と「80」には「爆発的ウルトラブームに乗って制作されながらブームを支える事が出来なかった」と言う厳しい評価が付いて回りました。
ただ、「80」がスタートした80年4月にはブームは既に峠を越えており、もしブーム最高潮の79年4月の時点でアニメではなく、実写特撮の新作をやっていたらどうなっただろう?と今でも時々思いますが、歴史にIFはありません。
かつてはあれだけ頻繁に行われたウルトラの再放送が80年代に入るとパタリと止まってしまった事も大きく、「ザ☆ウル」と「80」に至っては判明している限り関東で一度きり、関西では一度も再放送が無く、これまでのように再放送がきっかけでブームが再燃する事もありませんでした。その後、ウルトラの総集編的な映画が作られたり(84年「ウルトラマンゾフィー」、「ウルトラマン物語」)、テレビでウルトラの特集番組が組まれてもその冷遇ぶり?は酷いもの、それでも「80」はまだましで「ザ☆ウル」に至ってはアニメと言う事もあり、まるで無かったかのごとく無視されていました(涙)。

時代は平成、16年もの長いブランクを経てウルトラはとうとう復活、96年に「ウルトラマンティガ」、以後「ウルトラマンダイナ」、「ウルトラマンガイア」(以下、略)…と新作が続きましたが、これらは昭和のウルトラとは違う世界観で描かれた事もあり、もはや「第4期ウルトラシリーズ」と呼ばれる事は無く、もっぱら「平成ウルトラシリーズ」と称されました。流石に令和の今も放送しているウルトラマンは観ていませんが、私も平成のシリーズは一通り視聴しており、年齢的な事もあり昔のように熱狂したわけではありませんが、それでも2006年にスタートした「ウルトラマンメビウス」は久々に燃えましたよ。
この作品は文字通りの原点回帰、80が地球を去って25年後が舞台、つまり「ウルQ」~「80」までの昭和ウルトラシリーズのストレートな続編だったからです。従って、昭和のウルトラ戦士が続々登場するオールドファンには夢のような展開で、そして遂に!ウルトラマン80・矢的猛のゲスト出演が実現したのです!(第41話「思い出の先生」)
矢的猛役の長谷川初範さんは「80」で教師の設定が途中で消えた事に傷つき(当時、出演者たちに事前の説明も無かった模様)もう円谷プロのオファーは受けないと決めたと何かで読んだ事があり(*真偽は不明)、長谷川さんの出演はまず無理だろうと諦めていただけに感激もひとしおでした。

かつて矢的猛が勤務した桜ヶ岡中学が少子化の波で廃校となる事が決まった。
猛の教え子だった卒業生たちは同窓会を計画、そこに猛に出席して欲しいと願っていた。
折しも80は怪獣を追って約25年ぶりに地球に飛来しており、主役のウルトラマンメビウスことヒビノ・ミライを通して教え子たちの意向を聞くが、同窓会への出席を拒否する。かつて激化する怪獣との戦いに専念する為に教師を辞めざるを得なかった事を彼は後悔しており(*26年目にして初めて学校の設定が消えた理由が劇中で語られた!)教え子たちに合わせる顔が無いからだった。
最後は矢的猛が教え子たちの熱意に負けて同窓会の場に現れ皆と再会する感動のフィナーレとなりましたが、「ウルトラマン80」のもう一つの最終回とも言えるこの回は我々ファン、そして長谷川さんにとっても「青春の決着」でした。

昭和ウルトラのブルーレイは2019年に「レオ」が発売され、次はいよいよ「ザ☆ウル」と「80」と期待しましたがいっこうにその知らせが無く、これまでの冷遇ぶりを知っていたので一時期はもう諦めていました。そこへ45周年を記念しての発売決定の朗報、本当に待ち遠しくて仕方ありません。
多感な中学生時代にどっぷりはまったウルトラシリーズ、そのタイミングでのリアルタイム作品ですから思い入れも相当なもので、この長きに渡る駄文を書きながら何度観たい衝動にかられた事か…。考えてみればDVDを持っていますので観ようと思えばいつでも観られるのですが(笑)、やはり折角ならブルーレイ発売まで我慢します。
やむなく気を紛らわそうと両作品のBGMを聴いていましたが、こんなの聴くと余計に本編が観たくなりました(苦笑)。

「80」終了直後は虚脱感からエアポケット現象に陥り、前年あたりから再びテレビ中継を観るようになったプロレスに次第に傾倒、ウルトラと並行してマニア化の一途を辿るようになりました。

もう一度自分の歴史をおさらいすると、
幼少時 ウルトラに熱狂(第1期は再放送、第2期はリアルタイム)
75年 プロレス中継視聴開始、「ウルトラマンレオ」終了
78年 再放送の影響でウルトラ熱復活
79年 「ザ☆ウルトラマン」スタート
81年 「ウルトラマン80」終了、プロレスマニアの道に突入

約5年周期でウルトラとプロレスがマイブームとなり、現在に至っているのがわかります(笑)。そして今では生活の一部なので死ぬまでの付き合いとなる事でしょう。

延々駄文を続けていたらあっと言う間に10月も終わり、しかし次回以降はまだ8月のネタが続きます。

【 訃報 】
「ウルトラマン80」の主題歌、挿入歌を歌ったTALIZMANの元ボーカル、木村昇さんが10月にお亡くなりになりました(享年72歳)。「80」の主題歌を初めて聴いた時の、まるでゴダイゴを彷彿させるその斬新さはまさに80年代の幕開けを感じさせてくれました。心よりご冥福をお祈りいたします。

「ウルトラマン80」主題歌、子供番組としては画期的な曲だった。
コロムビア・レコード (C)円谷プロ
第40話から使用の後期主題歌、こちらも素晴らしい!
コロムビア・レコード (C)円谷プロ