FILE No. 953 「シュツットガルトの惨劇(6)」

「シュツットガルトの惨劇(6)」

(前回からの続き)

ドキュメント小説「シュツットガルトの惨劇」(作・桜井康雄、月刊ゴング82年4月号)の続きです…。

「アントニオ猪木、シュツットガルトに死す…。」
猪木が目を瞑ったまま呟くと、新間が「えっ」と驚いた表情になる。
「社長、今何と言いました?」
「俺は死ぬかもしれないと言ったんだ。」
「冗談じゃないですよ、社長、ローラン・ボックは何としても倒してください。社長の真価問われる一戦です。テレビ朝日のスタッフも既にシュツットガルトに入ってテレビ撮りの準備も完了しているんですから、これが最後の試合です。お願いします、頑張ってください。」
熱っぽく言う新間に猪木は何も言わなかった。

シュツットガルトに着いた猪木は眠りたかった。泥のように眠りたかった。
だが、プロモーターのポール・バーガーはさらに過酷なスケジュールを用意して待ち構えていた。
「ミスター・イノキ、申し訳ない。一試合増えたんだ。このままドルトムントに行ってくれないか。」
新間が怒り狂った。
「約束が違うじゃないか。今日は休養のはずだった。ノーだ!」
猪木は新間を制した。「行こう。」 猪木は全てを運命の神に委ねるつもりだった。
車に乗り込みさらに150キロ。24日(日本時間25日)、猪木はドルトムント市ベストフォーレン・ホールでオットー・ワンツと10ラウンドを戦い引き分ける。勝てないのだ。
車に乗り込みシュツットガルトに不眠でUターンする。
深夜、シュツットガルトのホテルにやっと入るとポール・バーガーと警察署長が待っていた。
「ミスター・イノキ、明日のローラン・ボックとの試合が異常人気を呼んでいる。
ここはボックの地元でもあり、熱狂的なボックのファンが猪木を襲撃するとのデマが飛んでいるので、念の為ホテルと試合会場をガードさせてもらう。」
猪木は答えなかった。
(畜生、あの手この手でこっちを圧迫してくる気か。負けてたまるか!)
凄まじい闘魂が猪木の中で燃え上がっていたが肉体的コンディションはもう最悪の極限に来ていた。“大きな罠”にはまり、猪木は最後の瞬間、とどめを刺されるのを待つ“獅子”であった。
「ローラン・ボックが、あのモハメド・アリと戦ったアントニオ猪木を今夜倒す」シュツットガルト市は大変な騒ぎとなった。
会場のシュツットガルト・キーレスバーグは超満員の大観衆を飲み込んでいた。キャパシティを50パーセントオーバー、200人の警官がガードして異様な雰囲気だ。
アントニオ猪木は午後8時に会場に入った。
猪木の姿にドイツ人たちの冷酷な視線が注がれる。
ローラン・ボックが姿を見せると「インスピラ・ローラン」(ローラン頑張れ)の大合唱だ。
東京スポーツの特派員としてこの一戦をリングサイドで取材した加藤知則記者は
「猪木は顔にあぶら汗を浮かべ蒼白な表情、肉体はガタガタ、しかも精神的にもだいぶまいっている。リングに向かう姿は屠殺場に引かれる牛のようでしたよ。ずっと欧州遠征を追っかけて猪木の苦闘を見てきた私にはもう正視できないにまで追い込まれていました。」と語っている。

猪木は命がけでボック戦に挑む 
出典:『週刊プロレス』(ベースボールマガジン社)

一方、ローラン・ボックは自信に溢れ、不敵な笑みすら浮かべていた。
ボックのセコンドにはデートリッヒがついている。このゲルマン人たちは目の前にぶらさがった獲物をどうやって料理しようかと非情な相談をしているようであった。
ゴングが鳴った。(中略)3ラウンドに入ってデートリッヒがボックに「イノキはもうガタガタだ。焦らずじっくり料理してやれ。」とささやき、ボックはうなずいてニヤニヤと笑った…。

(次回へ続く)