FILE No. 960 「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(3)」

「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(3)」
(前回からの続き)
打倒・猪木を果たしIWGPに優勝したホーガンに人生最大のチャンス、WWF(現WWE)からのオファーが舞い込みました。
84年1月23日、MSGでWWFヘビー級王者となったホーガンを主役にWWFは全米各地に侵攻を開始、やがて全米中で社会現象とも言える程プロレス(WWF)人気が高まり、ホーガンは名実共にスーパースターとなりました。
新日本プロレスとWWFは業務提携中だったので期間は短くなったものの来日は続き、84年5~6月の第2回「IWGP」に前年度優勝者として特別参加、総当たりリーグ戦を1位で勝ち抜いて来た猪木と優勝戦で対峙しました。猪木にとって悲願のリベンジマッチは場外で長州力が乱入し猪木とホーガンにラリアット、猪木が半死半生状態で一歩早くリング内に戻りリングアウト勝ちで優勝しましたが後味の悪い結末にファンの怒りが爆発、蔵前国技館で暴動が発生する不祥事となりました。
8月末~9月末までの「ブラディファイトシリーズ」にホーガンの参加が発表され、IWGPの不透明決着に納得いかないファンはここで猪木とホーガンの再戦を期待しました。
日程をチェックするとこのシリーズは東京の大会場は無く最終戦は大阪府立体育館…おおっ、我が地元で猪木とホーガンの決着戦!? 絶対そうなると確信した私は乏しいおこずかいの中から特別リングサイドのチケットを購入しましたが、何とWWFの過密スケジュールのあおりで土壇場になってホーガンの来日中止(涙)!ホーガンの代わりに?大阪のメインは猪木と“小錦の実兄”アノアロ・アティサノエとの異種格闘技戦となりましたが、大凡戦で踏んだり蹴ったりの心境でした。
年末の「MSGタッグリーグ戦」にもホーガンの参加は発表されており、流石にこの年は猪木&ホーガン組は組まれず、猪木は藤波辰巳との師弟コンビ、ホーガンはワイルド・サモアンとの急造コンビ(当初予定のカート・ヘニングが来日中止)で参加する事になりました。
今回は無事来日してくれてほっとしたのも束の間、開幕戦の川崎大会から組まれた猪木組とホーガン組の公式戦で事件?が起こりました。タッグながらIWGP優勝戦以来の猪木とホーガンの対決でしたが、場外で猪木の延髄斬りを受けたホーガンが鉄柱に激突し大流血、それだけなら別に珍しい事では無いですが、ホーガンは頭部負傷で翌日から欠場、米国で治療するとの理由で何とそのまま帰国してしまったのです!
一部のファンからは「ホーガンは日本を舐め切っている!」「負傷とか言ってアメリカで試合をしているのでは?」と怒りと疑惑の声が挙がりましたが、流石に2回連続で来日中止と言うわけにはいかないので、とりあえず来日して1試合だけで帰る負傷アングルが組まれたのだと、大人になった今なら分かります(苦笑)。
帰国後ホーガンが試合をしていたかどうかは記録が見つかりませんが、最近元ゴングの清水さんに聞いたところ「間違いなくやっていたはず」との事、ネット社会の今ならすぐにばれますが、この時は一切報道されませんでした(何方か試合情報をお持ちの方教えてください)。時は流れて2007年、怪我で欠場した朝青龍がモンゴルのイベントでサッカーをやっていた問題を報道するワイドショーを観て、ホーガンを思い出しましたよ(笑)。
度重なるドタキャンで日本でのホーガン人気は暴落しましたが、85年の「IWGP」では三度、猪木VSホーガンが実現しました(85年6月13日、名古屋)。
この年はトーナメントで優勝してIWGPのベルトを獲得した猪木がホーガンの挑戦を受ける「防衛戦」と言う異例の形式がとられ、猪木はホーガンに場外で延髄斬りを見舞いリングアウトで勝利、そしてこれが二人の生涯最後の対決となったのです…。
高額な提携料を支払っているのにも関わらずホーガンを派遣してくれないWWFに愛想が尽きた新日本プロレスは契約を更新せず別の海外ルートを開拓する事に方針を変更、これによりホーガンは日本から消え去りました。
ホーガンを失ったのと前後して新日本はピンチの連続、前年に起こった長州軍ら日本人選手の大量離脱も相まって観客動員、そしてテレビ視聴率も次第にジリ貧(3年後の88年にゴールデンタイムから降格)と向かい風が吹きまくりました。
この頃の週刊ファイトにあるファンの嘆きが掲載されていたのが印象に残っています。
「ホーガンははっきり言って恩知らずですわ。社長(猪木)がこんなに苦労してるんやから、タダでとは言わんけどヘルプに来てくれても罰は当たらんでしょう。ホーガンが男になれたのは社長のおかげですよ。」
正直私も似たような心境でしたが、今やプロレス界で世界一忙しい人となったホーガンに、一日たりとも日本に立ち寄る時間などありませんでした。
日本にいると今一つ実感として掴めませんでしたが、全米においてホーガンは我々が想像する以上の巨大なスーパースターと化していたのです。
そう言えば20年程前、アメリカでホーガンの自伝が出版され、日本語翻訳版を本屋で立ち読みしたら、日本での事が全く書かれていなくて愕然としました。アメリカ版とは言えホーガンのキャリアで絶対欠かせない日本を全面カットとは…勿論買いませんでしたよ(苦笑)。それだけにいつかホーガンには本当の自伝を書いて欲しいと願っていたのですが、残念ながらその夢は実現しませんでした…。
(次回へ続く)




