FILE No. 963 「ザ・ハングマン(1)」~生誕45周年記念~

「ザ・ハングマン(1)」~生誕45周年記念~

本日11月14日は今から45年前、昭和の刑事ドラマの中で私が最も愛した作品、「ザ・ハングマン」の放送開始記念日です!
わ~、パチパチパチ(拍手)、嗚呼とうとう「ザ・ハングマン」について書けるこの喜び(涙)…調べて見ると2013年のブログ(File No.342 参照)でも少し取り上げていましたが、今回45周年を記念して12年ぶりにDVDで全話を観返しました。

大のテレビっ子だった私、テレビ熱中時代の70~80年代はまさに刑事ドラマの最盛期で、中には「太陽にほえろ!」(通算14年放送)、「Gメン75」(通算7年)、「特捜最前線」(通算10年)などの名作長寿ドラマが誕生しました。
時は1980年、中学3年生だった私はあまりに観過ぎたせいで(笑)既存の刑事ドラマに些か飽きかけていました。
そんな中、金曜夜9時のテレビ朝日系列で斬新な刑事ドラマがスタート、それが「ザ・ハングマン」でした(放送は80年11月14日~81年11月6日)。

便宜上、刑事ドラマと書きましたが厳密には「ザ・ハングマン」は刑事ドラマではありません。
ハングマンのメンバーは全員が元刑事で、死んだ事を装って(殉職、自殺、事故死など)戸籍を抹消、顔を整形し、さらに特殊な薬品で指紋まで消しハングマンになりました。
本来、法律は弱い者を助ける為に存在するものですが、その法の追及を巧みにかい潜り、弱者を食い物にして私腹をこやす悪人を制裁・抹殺する事こそが彼らの仕事です。
そう、金曜夜10時のテレビ朝日の人気作品「必殺仕事人」(必殺シリーズ)の現代版ですが決定的に違う点が一つ、仕事人と違いハングマンは人は殺しません。
どんな悪人であっても裁判を受ける権利がある以上殺人はNGがハングマンの掟、つまり悪人たちに罪を自白させて警察に逮捕させ、社会的に抹殺する事こそが彼らの目的なのです。

初期のハングマンのオリジナルメンバーはリーダー格のブラック(林隆三)、マイト(黒沢年男)、パン(植木等)、ベニー(あべ静江)、バイク(加瀬慎一)、ドラゴン(ディオン・ラム)の6名で全員が元刑事ですが、戸籍を抹消して“死人”になった以上、名前は意味を持たないので全員上記のコードネームで呼ばれ、それぞれ理由があって自らの意思でハングマンとなりました。
ハングマンを結成した首領は通称・ゴッド(山村聡)、テロップで「元国際機関の中心人物とも想像されるが正体不明」と紹介された謎の人物です。

記念すべき第1話、テーマ曲とともに森山周一郎さんの渋い声でのオープニングナレーション(以下に再現)、この時点で心臓をわし掴みにされました。
「ザ・ハングマン。法の追求を巧みにかわす悪党たちに怒りの制裁を加え、社会的に死に至らしめる死刑執行人である。顔を変え指紋を消し戸籍を抹消した人間たち。
命の代償は莫大な収入と限りない孤独だけである。ザ・ハングマン!」

16話までのタイトルは「ザ・ハングマン 燃える事件簿」
出典:『テレビジョンドラマ ザ・ハングマン特集号』(86年3月1日発行 放送映画出版)

実は初期の「ザ・ハングマン」には「燃える事件簿」とサブタイトルが付いていました。
今回大いに参考にさせて頂いた「テレビジョンドラマ」(ザ・ハングマン特集号)(現在まで唯一のハングマン資料集!)によると、番組の企画段階での仮題は「影の警察」だったそうですが、そこに処刑執行人を意味するハングマンなるネーミングを思いついた人には座布団10枚あげたい気分です(笑)。
しかし「ザ・ハングマン」のタイトルだけで番組のイメージを想起させる事が難しく、苦肉の策でのサブタイトル導入だったのでしょう。
実はこれはテレビ朝日がよくやる手で、平成の刑事ドラマで私が最も好きな「相棒」も初期の頃は「相棒~警視庁ふたりだけの特命係」でした。
やがて番組の人気が高まり「ハングマン」のネーミングが定着した17話から「燃える事件簿」は削除されました。

「ザ・ハングマン」のエンディングはヒロスケの歌う「あ・れ・か・ら」(フォーライフレコード)でこちらもなかなかの名曲でしたが、ある時番組で視聴者へのレコードプレゼントがあり、何気なく葉書を送ったらくじ運の悪い私がなんと!当選してしまいました!
嬉しくて擦り切れるぐらい何度も聴いたのもので、今でもフルコーラス歌えますよ(笑)。

第1話からすっかりはまって毎週の放送が待ち遠しくて仕方なくなった私、ハングマンライフ(笑)を満喫していました…。

(次回に続く)