FILE No. 966 「ザ・ハングマン(4)」~生誕45周年記念~

「ザ・ハングマン(4)」~生誕45周年記念~
(前回からの続き)
「ザ・ハングマン」にすっかりはまった私、それだけに1年後に最終回を迎えた時はショックでした。
テレビドラマの放送期間は通常1クール(約3ヶ月、12~13話前後)、視聴者の反響を見ながら2クール(半年、26話前後)に延長されるのが一般的だったところを1年間も続いたのですからそれだけ人気作品だった事がわかりますが、前にも書いたように同時期に「太陽にほえろ!」(72年放送開始、この時点で10年目)、「Gメン75」(75年開始、7年目)、「特捜最前線」(77年開始、5年目)が絶賛放送中だった為、いつしかハングマンもまだまだ続くものと錯覚していたのです。
最終回(第51話「死人たちは二度死なない」81年11月6日放送)は普段からハングマンに鼻を明かされっぱなしの警察が遂に奮起、一斉に大掛かりなハングマン狩りに乗り出します。追っ手をかわし命からがらアジトに集結したハングマンメンバーですが、このままではここも2~3日中にやばい状況、ゴッドはひとまず組織の解散を宣言しました。
「警察を刺激しただけでも君たちの功績は大きい。」
ゴッドは皆の労をねぎらい退職金(海外への逃亡資金)と偽造パスポートを配布、全員で固く握手をかわし、ハングマンたちは夕闇の雑踏に消えていきました…。
最終回を観終えた時の虚脱感、それから暫くの間、ハングマンロスに苦しみました。
その後に金曜夜9時は何を観ていたのだろうと記憶をたどるも全く思い出せません。
調べてみるとテレビ朝日は恐らく特番で二週繋ぎ、11月27日から「赤かぶ検事奮戦記」(第2シリーズ)、それが終わった翌年3月からは「女捜査官」なるドラマを放送していたらしいのですが私はどちらも観ていません。テレビ命(笑)の私ですから他局を観ていたと思われますが、ハングマンを亡くした喪失感は埋めようもありませんでした。
82年の初夏、高校2年生になっていた私に「ザ・ハングマンⅡ」(82年6月4日~12月24日)放送開始の朗報が飛び込んで来ました!
現在の「相棒」などのように半年放送して半年休み、また続編が始まる平成以降のパターンが無かった時代、1作目の放送延長が無かった時点で完全に諦めていただけに夢にも思っていなかった再会に文字通り狂喜乱舞したものです。それ以前に第3シリーズまで制作された「大都会」(日本テレビ系)、同じく3作作られた「夜明けの刑事」「新・夜明けの刑事」「明日の刑事」(TBS系)等がありましたが、テレビ朝日の刑事ドラマで続編が作られたのはハングマンが初めてではないでしょうか(間違っていたらすみません)。
時間帯は勿論金曜9時、「ザ・ハングマンⅡ」は前作のストレートな続編で、ゴッド(山村聡)の要請で海外からハングマンたちが帰国、マイト(黒沢年男)、デジコン(名高達郎)、オショウ(植木等、前作のパンからコードネーム変更)、タミー(夏樹陽子)、懐かしいメンバーに新人のヨガ(沖田さとし)が加わって組織が再結成されました。
オープニングテーマも森山周一郎さんの相変わらず渋い声のナレーションも前作と同じでお涙もの、ここでまたも丸暗記した(笑)Ⅱのオープニングナレーションを紹介します。
「春、夏、秋、冬、季節は巡る。月、火、水、木、仕事に通う。
朝、昼、晩の食事を作る。世の中いつもの繰り返し。表の世界はそう見える。
表があれば裏がある。
裏の世界の出来事は人の予想を上回る。陰に潜んだ悪党どもをあの手この手のからくりで表の光にさらけ出す、それが俺たちハングマン。」
この82年はいよいよ私のプロレス熱が高まり、我が家で購入したVHSビデオ(File No.886~889 参照)で金曜夜8時の「ワールドプロレスリング」の永久保存録画を開始した年でしたが、そんなタイミングで始まった「ザ・ハングマンⅡ」、おかげで金曜日の夜はビデオがフル回転でした(笑)。
10時からの「必殺仕事人」(必殺シリーズ)を加え、再び始まった金曜夜の極楽テレビ朝日タイム、あの頃が一番幸せでしたよ…(遠い目 苦笑)。
(次回へ続く)

