FILE No. 994 「皇帝戦士の甲冑」

「皇帝戦士の甲冑」

月一ペースでお送りしているレジェンド・プロレスラーの特集、
キラー・トーア・カマタ(File No.986 参照)、
クラッシャー・バンバン・ビガロ(File No.989 参照)に続いて
“皇帝戦士”ビッグ・バン・ベイダーの登場です。
(またしてもハゲ&デブ、単なる偶然です!笑)

TPGの刺客としてベイダー初来日(※1)

ベイダー衝撃の初来日は昭和の末期である1987年12月27日、新日本プロレスが両国国技館で行ったビッグマッチでした(イヤーエンド・イン・国技館)。
この時はかねてから猪木に挑戦を表明していたTPG(たけしプロレス軍団)の刺客と言うアングルが組まれ、TPGの横槍で当日になってカードが変更(当初は猪木VS長州の予定が猪木VSベイダーに)、観客が暴動を起こす騒ぎとなったのはマニアの皆様はご承知の通り、ただこれはアングルの失敗であってベイダー自身が不評だったわけではありません。
結局、TPGの企画はこの一回きりで自然消滅、年が明けた88年「新春黄金シリーズ」からは独り立ちした?ベイダーがフル参戦となりました。

甲冑からガスを噴射するパフォーマンス意(※2)

両国でも被っていたSF調の甲冑(甲冑とは頭を守る兜(カブト)と胴部を守る鎧(ヨロイ)の組み合わせ、従ってベイダーの場合は厳密にはカブト?)から白煙を噴出するパフォーマンスが大うけ、勿論それだけでなく新日本勢もたじたじのパワーファイトで瞬く間に大人気で新日本の外国人エースとなりました。
当時「ワールドプロレスリング」は毎週月曜日の夜8時に放送されていましたが、惜しむらくは88年1月の時点で4月から土曜日夕方4時への移行が決定していた事で、もしベイダーの初来日があと半年早ければ、もう少しゴールデンタイムからの撤退を延命出来たかも?…と言う考えは楽観的過ぎるでしょうか。

後年知った話ですが、当時斬新だったベイダーの甲冑は2つ製作されており、一つは新日本プロレスが管理して毎試合使用、もう一つはベイダー本人に進呈されたとの事、ベイダー自身もこのギミックが気に入り本拠地アメリカでも入場時に被っていた時期があったそうです。

これが夏休みプレゼント企画の証拠写真(※3)

88年の夏、新日本プロレスは「本物のベイダーの甲冑を抽選で1名にプレゼント」と言うとんでもない企画をやってくれました!(写真記事参照)
4~5月の「スーパーファイトシリーズ」、5~6月の「IWGPチャンピオンシリーズ」、7~8月の「サマーファイトシリーズ」、いずれかの入場券(使用済み半券)を送るのが応募資格で、当然私も応募したと皆さん思うでしょうが、当時の私にとって半券は大切なコレクション、何でこれを対象にするんだよ(怒)!と地団駄踏み、どうせ1名じゃ当たるわけないかと結局応募は断念しました(涙)。
今思えば万に1つの可能性に賭けて応募すべきでしたが…それにしても当時製作費が500万円とも700万円とも言われた(記載雑誌によって金額が違った)物をプレゼントする新日本の気前の良さよ!

しかしファンにあげてしまっては試合で使えなくなるし、ベイダー本人にあげた物を今更返させるわけにもいかないので、そうなるとまさかプレゼント用にもう一つ作ったのでしょうか??いずれにせよ計3つ無いと辻褄が合いませんので、ここからは私の一方的な推理ですが、使用していたものが故障(例えばガスの噴射口が潰れたとか)で修理も出来ず急遽3つ目を製作、故障品をプレゼントする事にしたのではないでしょうか?リングに置いたところを猪木さんが蹴とばしたり(笑)した事もあったので、壊れる可能性は十分と思われます。
当時、プレゼントの告知は目にしたものの結果発表を見た記憶が無く、本当に実施されたのかと長年疑惑を持っていましたが、近年SNSで情報を募ったところ「当選した子供がステージ上で甲冑を被っている記事を目にした記憶がある」と言うコメントを頂きました。
ただその人曰く、プロレス雑誌では無かった気がするとの事でしたが…。

当のベイダーは3つ目?の新しい甲冑をその後も使用していましたが93年からUWFインターナショナルに移籍、ここでは新日本が商標登録していたビッグ・バン・ベイダーのリングネームは使えずスーパー・ベイダーと改名、甲冑も無くなり素顔での参戦となりました。
96年1月4日、東京ドームでのあまりにも有名な猪木戦で一夜新日本に復帰し久しぶりに甲冑も復活、さらにその10年後の2006年9月3日、当時新日本がやっていた別ブランドの「レッスルランド」への参戦でも甲冑を被りましたが、新日本ではこれが最後の使用となりました。近年、旗揚げ50周年など展示イベントをやっても甲冑が出て来る事は無いので、現在の新日本は持っていないと断言しておきます。

2017年4月、フロリダにて
2017年4月、最後の来日

時は流れ2017年4月、アメリカのイベントでベイダーと初めてお会い出来ました。
しかも同月に藤波さんの招きでドラディションに久々の来日が実現しましたが、結局これが私にとって最後のベイダーとなりました。翌2018年6月、皇帝戦士は帰らぬ人となったのです…(涙)。

2019年4月、ニューヨークにて本物を拝借、重かった!

2019年、やはりアメリカのイベントに行ったらベイダーのご子息がブースを出しており、ベイダー家にある甲冑とご対面する事が出来ました!
被っての写真を撮らせて頂きましたが(有料ですよ笑)ずっしりと重くてとても一人で取り扱える物ではなく、あれを軽々と扱っていたベイダーのパワーに改めて感服しました。
あくまで私の仮説を整理するとベイダーの甲冑(初期オリジナル)は計3つ製作され、1つは少なくとも2006年までは新日本にあったが現在は行方不明、ベイダー本人に寄贈され私も被らせて頂いた2つ目は現在もベイダー家にあり、そしてプレゼントに回された3つ目(故障で使用できなくなった物?)ですが、もし現在所有している人がいるのであれば名乗りを挙げて「なんでも鑑定団」にでも出て鑑定して欲しいです。

余談ですが、ベイダーがお亡くなりになった2018年6月、日本でも一人のスーパースターが旅立たれています。実は歌手の西城秀樹さんが亡くなったのもこの月で、しかもお二人は奇しくも同じ年齢(63歳)でした。
ベイダー 1955年5月14日生まれ~2018年6月18日没
秀樹さん 1955年4月13日生まれ~2018年5月16日没
なんと、生誕日も亡くなった日も一か月の差で、ほぼ同時期に現世を生きたお二人、恐らく面識は無かったでしょうが、実は一つだけ接点があったのです。
プロレステーマ曲研究家のコブラさんからの情報ですが、ベイダーの入場テーマ曲、レインボーの「アイズ・オブ・ザ・ワールド」をベイダーが使用する7年前に秀樹さんがコンサートで歌っていました。
是非、お二人でコラボして「ひできプロレス軍団」を結成、秀樹さんの生歌でベイダーに入場して欲しかったです(笑)。

<写真出典先>
(※1)『週刊ゴング』(日本スポーツ出版)88年1月号
(※2)『週刊ゴング』(日本スポーツ出版)88年1月号
(※3)『週刊ゴング』(日本スポーツ出版)88年7月号