FILE No. 913 「虎ハンター(2)」

「虎ハンター(2)」

(前回からの続き)

全日本でも2代目タイガーマスクにマスク剝ぎ

全日本プロレスに戦場を変えた“虎ハンター“小林邦昭のターゲットは2代目タイガーマスク(三沢光晴)、そしてここでも小林さんはテレビ視聴率に貢献し、85年に計4回実現した二人のシングルマッチのうち3回はゴールデンタイム特番に組まれる破格の扱い、馬場さんはインタビューで「タイガーと小林の試合は視聴者に評判が良い」とコメントしていました。

追う立場から追われる立場へ、全日本時代はタイガー以外にも様々な因縁の相手が目白押しで、マジック・ドラゴンとの敗者髪切り&マスク剥ぎマッチが実現しました(85年6月5日 名古屋)。でもこの種の試合形式って普通は遺恨が膨らんで最後の決着戦として行われるもの、この時二人は抗争していたわけでは無く、あまりに唐突にデスマッチが組まれたので逆に全日本らしいと思ったものでした(苦笑)。小林の勝利でドラゴンはいさぎよくマスクを脱ぎ、その後はハル薗田として試合をするようになりましたが、今思えば凱旋後いまいち伸び悩んでいたドラゴンを素顔に戻す為のマッチメイクだったのでしょう。
ドラゴン戦とは対照的にドロドロの遺恨戦となったのが渕正信との抗争で、きっかけは私が観戦した8月5日、大阪城ホールでのジャパンプロレスの興行でした。試合後の小林を突如渕が襲撃し椅子で滅多打ち!この時の渕のマイクが絶品でした。
「小林!タイガーマスクに勝ってもなあ、マジックドラゴンに勝ってもなあ、まだ全日本プロレスには渕正信がいるんだ!」いや~、あのマイクの映像が無いのが残念です。

また、初めて三沢タイガーに勝った試合後(85年6月21日 日本武道館)には珍事件がありました。1月に引退(1度目の引退!)し、一人の客として試合を観ていた大仁田厚を小林がマイクで挑発し、大乱闘になったのです。これは偶然のハプニング?それとも新たな遺恨戦の為のアングルだったのか? 記者に取り囲まれた大仁田は「自分は引退した立場だが、小林との試合だけは認めて欲しい。」と主張、しかし不可解なのはこの乱闘シーンはテレビではまるまるカットされた事でした。因みに週刊プロレスは1頁でしたが、週刊ゴングに至っては写真1枚のみの扱い、しかし何よりテレビの電波に乗らなかったのが大きく、こんな事件があった事すら知らない、印象に無い人も多い事でしょう。
結局対決の機運は盛り上がる事なく話は立ち消えとなり、それから暫く経って週刊ビッグレスラーに二人の和解?対談が掲載され、不可解な事件は幕となりました。

必殺技はオリジナルのフィッシャーマンズ・スープレックス
引退していた大仁田と不可解な乱闘

87年、ジャパンプロレスの分裂騒動により長州軍は再び新日本プロレスにUターン、古巣に戻った小林さんはIWGPジュニアヘビー級王者になりましたが、馳浩が凱旋帰国、獣神サンダー・ライガーがデビューとジュニア戦線に新戦力が台頭すると次第に影が薄くなりました。ヘビー級に活路を求めるも決して身体が大きいわけでは無かったので、前座・中堅の位置に定着、これは新日本、全日本をまたにかけてジュニアを制した時代を知っている者にはいささか淋しかったです。そう言えばこの頃猪木さんが初めて参院選に出馬(89年7月)、水道橋の後楽園ホールに向かう橋の前で応援チラシを配布する小林さんを目撃しましたが、シャイなもので(笑)話しかける事も出来ませんでした。

小林さんに何とかもう一花咲かせて欲しいと思っていましたが、92年から始まった誠心会館との抗争で再びスポットライトを浴びる機会が巡って来ました。ノーテレビで実現した斎藤彰俊との初戦(92年1月30日 大田区体育館)を観に行きましたが異種格闘技戦と言うより、喧嘩そのものの凄いど迫力、越中詩郎もパートナーに加わりこの遺恨対決は各地の大会場でドル箱となりました。
抗争が一段落すると越中と反選手会同盟を結成、ここに誠心会館も合体し平成維震軍が誕生しましたが、この時つくづく小林さんは反体制側にいる方が活き活きすると思ったものです。以後、平成維震軍は解散まで7年も続く一大ムーブメントとなったのは周知の通りですが、小林さんはこの92年に癌を発症し手術、長期欠場を余儀なくされました。99年にも再手術し、体力の限界から2000年4月21日にとうとう現役を引退、その後は新日本プロレス道場の管理人として、第二の人生を送られました。

小林さんの永遠のライバルはやはり初代タイガーマスク、再会マッチは90年代以降何度か実現、そして二人は小林さんの引退後にも何度か戦っています。
2011年5月7日、大阪でのレジェンドの大会
(File No. 224「名勝負数え唄」参照)、因縁の初対決の地・大阪で向かい合った二人、懐かしのマスク剥ぎシーンに館内の私のようなオールドファンは拍手喝采でした。そして場外戦からいち早くリング内に戻った小林がリングアウト勝ち!なんと、虎ハンターは初対決から29年目にして待望の初勝利を得ました。
また、2012~13年にかけてはなんと、大仁田厚との対決も実現しました。
前述のように大半の人が忘れている武道館での乱闘騒ぎから28年越しでのサプライズ、だからプロレスは終わりのない大河ドラマなのです。

小林さんは早くからFacebookを活用されており、恐れ多いと思いつつ私も何度かコメントなどでやりとりさせて頂きましたが、今年になって更新が止まっていたので心配していたところ、今回の訃報が届き絶句しました(涙)。

このブログを書いているのは10月初旬ですが、奇しくもこの週、小林さんの地元である長野県小諸市で行われるインディ興行に遠征する事になりました(詳報近日)。
当日、小林さんの追悼セレモニーをやって欲しいとリクエストしたところ、主催者が新日本から許可を貰ってくれました。
前回書いたように、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、そして小林邦昭さんと
これで初代タイガーマスクの3大ライバルが全員旅立ってしまった事が淋しくてなりません。虎ハンターよ、永遠なれ…。

リングに限定復帰、初代タイガーマスクから悲願の初勝利!
虎ハンターとたった一度のツーショット!