FILE No. 1009 「グレート・テキサン(2)」~ドリー・ファンク・ジュニア追悼記念~

「グレート・テキサン(2)」

~ドリー・ファンク・ジュニア追悼記念~

(前回からの続き)

1972年、日本プロレスを追われたアントニオ猪木は新日本プロレスを、同じくジャイアント馬場も退団し全日本プロレスを相次いで旗揚げ、BIに去られた日プロはあっさり崩壊し、ドリーとテリーのファンク兄弟は父・シニアと馬場の人間関係から全日本の常連となり、やがてはブッカー(外人選手招聘窓口)、さらにジャンボ鶴田や天龍源一郎らを地元テキサス州アマリロに受け入れ、新人育成係も務めるようになりました。

75年12月にはドリーに続き今度はテリーがNWA世界王者となり、ドリーの4年3か月には及ばなかったものの1年2か月の長期政権を樹立しました。
兄弟でNWA世界王者となったのは歴史上初の快挙でしたが、二人をここまで育てた父・ドリー・ファンク・シニアはどんなレスラーだったのでしょうか。
ドリーはこのように語ります。
「父はグッドアマチュアレスラーと言うバックグラウンドがあったうえでテキサス流のタフマッチができる男だった。結果的に父の資質の中から私はレスリングスタイルをチョイスし、テリーはタフなファイトスタイルを引く継ぐ形となった。だから私のスタイルはレスリング、テリーのスタイルはファイト、全くタイプが違うんだよ。父は私たちの性格を見たうえで全く違うタイプのレスラーに育てたのかもしれない。」
(Gスピのインタビューより)
シニアはまさに、ドリーとテリーをたして2で割ったような選手だったのでしょう。

ザ・ファンクス、特にテリー人気が沸騰(※1)
(※2)
超一流の実力者(※3)

全日本が77年暮れに開催した「世界オープンタッグ選手権」(翌年から世界最強タッグ決定リーグ戦と改称し令和の現在も継続中)のあまりに有名な試合、ザ・ファンクス(この頃からこの呼称が定着)VS ブッチャー、シーク組の一戦でテリーの人気が爆発しました。冷静沈着でクールな兄・ドリーと直情型で熱血漢の弟・テリー、兄弟二人の対照的なコントラストがファンの魂を揺さぶりましたが、日本人のハートをより掴んだのがテリーで、人気絶頂時の80年に「三年後の引退」を宣言した為その人気はますます過熱しました。その為この頃からドリーは主役ではなく「テリーのお兄さん」的に捉えられるようになり、これはNWA世界王者時代、日本プロレスでの猪木戦をリアルタイムで観た世代には不満だったようです。
「テリーが引退するなら全日本はもっとドリーを大切にして欲しい。あんな偉大なレスラーなのだから。」(83年、週プロ掲載、ファンのコメントより)

唯一の兄弟対決、試合後はノーサイド(※4)

「プロレスラーとしてのドリーはテリーあたりと組んでファンクスなどと名乗っているタマではない。」(プロレスの味方、村松友視の著書より)
その村松氏との対談で猪木もテリーについては「レスラーとして評価するならドリーを10とするなら半分以下」と酷評していましたが、猪木は日本プロレス時代の発展途上のテリーとしか戦っておらず、NWA世界王者となり、日本でも人気が爆発したその後のテリーを知らないわけで、この時期にもし対決が実現していたら評価も随分変わっていたと思います。
プロレスラーとしてはドリーに軍配を上げる声が多い中、ベビーフェースとヒール、両方で真のトップをとったテリーを高評価するマニアもいます。日本では前例の無いスーパーアイドル人気を獲得、一方で本国アメリカでは(地元を除いて)全米一の嫌われ者(*日本での人気があまりに凄かった為日本のマスコミはテリーがアメリカではヒールをやっている事を報道自粛した程)、ベビーとヒールの両方でここまで成功した人は後にも先にもテリーだけです。やはりドリーもテリーも超一流プロレスラーですよ。
因みに二人の兄弟対決は一度だけ日本で実現しています(81年4月30日 千葉県松戸)。ドリーの保持していたインターナショナルヘビー級王座への挑戦権を賭けて複数の選手によるくじ引きが行われ(やはりこのくじもアングルだったのか!?笑)テリーが当選した事であり得ないシングルマッチが実現、試合は54分ジャストでドリーがエビ固めで貫録の勝利でしたが、試合後二人は口を揃えて「もう二度とやりたくない。」と言ったそうです。

かつてテリーはドリーを評して「兄貴は死ぬまでレスリングを辞めないだろう。」と言いましたが(私に言わせればテリーも同様 笑)、そのドリーも67歳となった2008年、全日本のリングで引退試合を行い(3月1日 両国)現役生活にピリオドを打ちました。
ところが5年後の2013年にはファンクスが来日、何事もなかったかのようにしれっと試合に出場(10月27日、両国)、やはりファンクスに引退の二文字は無かったのです…。

ドリーの最後の来日は今から二年前、2024年8月24日に川崎で行われた、大仁田厚デビュー50周年&テリーの一周忌を兼ねた大会でした。
(File No.909「邪道50周年」参照)
この時既に83歳となっていたドリーは大仁田との電流爆破を行いましたが(結果としてこれが生涯ラストマッチに)私も今回がもう最後になるかもしれないと思いつつ、試合は勿論全てのイベント、はてはホテルの出待ちと逢いに駆けつけました。

今回の訃報は本当にショックでしたが若くして亡くなられるプロレスラーも多い中、85歳での旅立ちと大往生だった事がせめてもの救いでした…(涙)。
私が最もプロレスに熱狂した80年代、新日本は勿論アントニオ猪木、そして全日本ではドリーとテリーのザ・ファンクスこそ私にとってのスーパーヒーローでした。
どんな困難にも負けない不屈の精神を教えてくれたザ・ファンクスの雄姿を決して忘れません。
(ドリー・ファンク・ジュニア 追悼ツーショット集 こちらをクリック)

<写真出典先>
(※1〜4)『Gスピリッツ』Vol.33 【一部モバイル】(辰巳出版)