FILE No. 1010 「空白の一日」

「空白の一日」

プロレス系のレジェンドイベントはもうやり尽くした感がある為か、近年はプロ野球のミート&グリードがお盛んで、8月に私も生まれて初めてチームフルスイングさん主催のイベントに参加させて頂きました。
ゲストは元巨人軍投手の西本聖さんで、古希(70歳)と一軍登板半世紀を祝したトークイベント、しかも特別ゲストとして同じく元巨人で宿命のライバルだった江川卓さんも来場する豪華版でした。

西本聖さんのイベントに参加(※1)

今はすっかり野球オンチの私ですが子供の頃は巨人軍の大ファン、奇しくもプロレスを見始めた1975年(昭和50年)頃から野球にもはまっていました。
大阪なら阪神タイガースのファンじゃなかったの?とよく聞かれましたが、何しろテレビ&漫画が大好きでしたから子供の頃から巨人軍を舞台にしたアニメや漫画にどっぷりはまっていました。もっとも「巨人の星」は幼過ぎてあまり観た記憶が無いのですが「侍ジャイアンツ」は再放送が多かった事もあり夢中で観ていましたし、購読していた少年ジャンプにも「炎の巨人(ジャイアンツ)」「悪たれ巨人(ジャイアンツ)」など、巨人を舞台にした漫画がずっと連載されていたものです。そんなわけで自然に巨人ファンとなりアンチ阪神、虎キチと呼ばれる連中って文字通りキチ〇イが多くてむしろ嫌いでしたよ(笑)。

江川卓さんが特別ゲスト(※2)

あと同じくヤバかったのが広島ファン、おっとうちの親父も地元(広島県大竹市出身)とあってカープファンでした(笑)。昭和の時代は「阪神ファンとプロレスファン、どちらがマナーが悪いか?」とよく話していたのが懐かしい(笑)。
80年に長嶋監督が解任となり王選手が現役を引退、その頃から徐々に興味が薄れてしまいそれからはプロレス一筋で現在に至るわけですが、折角江川選手に会えたのですから今回は当時世間を騒がせた「空白の一日」事件(江川事件とも言われた)を振り返ってみましょう。

73年、作新学院高校時代にノーヒットノーラン9回、完全試合2回など数々の記録を残し「怪物」と呼ばれた江川は当然プロ野球の目に留まり、ドラフト会議で1位くじを引き当てた阪急ブレーブスに指名されましたが本人は進学を希望、翌74年法政大学に入学しました。
東京六大学でも華々しい活躍で4回生となった77年、ドラフトで1番くじを引いたクラウンライターライオンズが1位指名も巨人軍(あるいは在京球団)への入団を希望する江川はクラウン(本拠地は福岡)入団を拒否、一年間浪人して野球留学と称して渡米します。
78年のドラフト会議は11月22日に予定されていました。11月20日まで交渉権を持つクラウンはわざわざ渡米してぎりぎりまで江川と交渉しましたが、巨人入りを望む江川の意志は固く交渉不成立、20日の24時を持ってクラウンの交渉権は消滅しました。
当時ドラフトの交渉権が翌年のドラフト会議の前々日までと定められていたのは会議前日まで交渉を継続して場所が遠隔だった場合、災害や天候不順などの理由で交渉責任者が会議に出席出来ない事を考慮しての配慮でしたが、巨人軍はこの盲点をたくみに突きました。11月20日でクラウンは交渉権を喪失、次のドラフトは11月22日、つまり11月21日はフリーの状態、まさに「空白の一日」で、この日に江川と電撃契約したのです!このやり方に世間は騒然となり猛反発、巨人軍と江川に非難が集中しました。ネット社会の現在なら大炎上となっていたでしょう。
江川の巨人入団は無効と主張する連盟に反発した巨人は抗議の意味で22日のドラフトをボイコット、史上初11球団で行われた会議では阪神が1位くじを引き当て、江川を指名しました。
すったもんだの末にコミッショナー裁定で「江川が一度阪神に入団し、同日中に巨人の選手とトレード」と言う妥協案がとられる事となりましたが、この犠牲となったのが巨人のエース的存在だった小林繁投手でした。小林と江川のトレードが成立し晴れて?江川は巨人に入団する事となったのですが、小林は甘い二枚目タイプと言う事もあって人身御供にされた悲劇のヒーロー、一方江川は他人を犠牲にして我儘を通した嫌われ者のヒールのイメージが世間に定着してしまったのです。
今回のイベントで江川さんは当時の事に少し触れ、「自分はあくまで金銭トレードだと聞いてはんこを押した。小林さんが出されるとは思っていなかった。」と振り返っていましたが、江川さんも大人たちの都合に振り回された、ある意味犠牲者だと思います。
どうしても巨人に行きたかったまだ23歳の若者が「巨人に入れる良い方法がある。」と囁かれたらそれを信じて従うのも無理はありません。
当時私は中学生でしたが、この事件をどう見ていたかと言いますと、巨人もやる事がセコイなあと思いつつも根が天邪鬼な為、またそもそも自分の好きな球団に入れないドラフト制度がナンセンスだと思っていた事もあって、日本中を敵に回しても信念を貫く江川さんをリスペクトする気持ちでした。
テレビのニュースで正式に巨人入りが決まった江川さんの記者会見で記者の一人が何か罵声を浴びせた時、江川さんが「まあ落ち着いて。興奮しないで冷静にやりましょう。」と軽くいなしたシーンを観て、子供心に大物だなと感心しましたが、こういった態度に世間はますます不快感を示し、物事を強引に押し進めたり我儘を押し通すと言う意味で「江川る」と言う流行語が生まれたほどです。
そう言えば中2の時のクラスに物凄く不愛想でふてぶてしい女がいて、確か名前は「カネダ」でしたが我ら悪ガキ共は「エガワ」と呼んでいました(爆笑)。

時は流れて2007年、江川さんと小林さんは黄桜のCMで共演しました。
当初小林さんは「今更出るつもりはない。俺がやると言っても江川君はどうなの?断ると思うよ。」と乗り気でなかったそうですが、江川さんの「小林さんさえ良ければ是非やりたい。」の言葉にオファーを承諾、流石お二人ともスポーツマン、こうして奇跡の再会が実現したのです(涙)。
今回野球について書いていたら数十年ぶりに野球を観たくなりました。以前にも書きましたが東京ドームには数十回行っているのに一度も野球を観た事がない私(全てプロレス!)、何方か私をドームに連れて行ってください(笑)。

<写真掲載について>
(※1、2)イベント主催者様の許可のもと、掲載しております