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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です

FILE No.388

2014.8.30
「 幻のBI対決(5) 」

前回までのあらすじ

日本選手権を賭けてジャイアント馬場に対して執拗に挑戦をアピールするアントニオ猪木だったが、馬場は黙殺を続けた。 そして一年、突如馬場は他団体からの参戦もOKというオープン選手権の開催を発表した。猪木は呼びかけに応じるのか!?

(前回からの続き)

猪木が馬場の呼びかけに応じてオープン選手権に参加するのか?
日本中が注目する中、10月10日に雑誌「ゴング」の竹内宏介編集長が渦中の猪木に単独インタビューを試みました。
(全日本プロレスのオープン選手権開催プラン発表から10日以上が経ちましたが、猪木さんは今でもこの大会に参加する気持ちを持っていますか?)
「大いにありますね、気持ちとしてはね。 私はこの計画が発表された時にも記者の皆さんに主旨には賛成と答えている。 しかし黙って馬場に乗せられるわけにもいかないよね。 あの馬場がこうした呼びかけをして来た以上、もっと具体的な馬場の考え方なり目論見がはっきりしないとね。 それがはっきりした段階で参加するかを決めたいと思う。」
(状況いかんによっては出ない事もあると?)
「そういう事だね。 基本的にこういう大会は特定団体の主催でなく、三団体共催であるべきだと思う。 馬場が本当にプロレス界全体の事を考えてオープン選手権大会を提唱するならそこから着手するべきで、まずそうした呼びかけを正式に新日本と国際にするのが筋だと思う。 しかし現実問題として馬場にはそういう大局的な考えはない感じだね。 そうなるとオープン選手権というたいそうな美名の陰で馬場が何を企んでいるか分かるような気がするよ。」
馬場のやり方を激しくなじる猪木に竹内氏は一連の挑戦問題を持ち出しました。
(猪木さんは昨年の暮れに馬場選手に挑戦状を送った時、興行、テレビ、一切の条件はそちらに任せると言っていた経緯がありますが…)

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 猪木は馬場のやり方を
徹底批判

「それは問題が違うでしょう! 私が馬場に要求したのは日本選手権ですよ!
馬場が私の挑戦を受けて日本選手権を行うのであれば今でもその考えは変わっていない。
しかし今回のオープン選手権というのは単なるお祭り興行ですよ。それにそれだけの奉仕はできない。
口はばったいようだが、私がその大会に参加すれば爆発的な人気を呼びますよ。その成功が全日本を儲けさせ日本テレビの視聴率をアップさせるだけの事なら私にとってこんな無意味な事はない。 新日本に共催の話があってもおかしくないし、あるいは公平な第三者が主催を引き受けての話なら何をおいても協力する。」
(しかしこの大会に参加すればあなたの悲願である馬場戦も可能になるのでは?)
「いや、表面的にはその可能性があるように見えても…実際には無理だと思いますね。結局はあらゆる口実を使って馬場は対戦を避けると思う。」
(話を聞く限り、猪木さんに参加する意志はない感じですね。)
「今のやり方ではすんなり参加はできないよね。全日本の主導でなく本当にオープンにしてやる事に意義があると思う。私が提唱するなら三団体共催、テレビも三局放映という形で呼びかけますけどね。

新日本とは対照的に日本国内のもう一つの団体、国際プロレスからは代表選手の参加が早々と決定、これは全日本と国際が比較的友好関係に有り、馬場が早い段階から根回しをしていたからなので、ある意味予定通りの事でした。
一方の猪木は10月13日、正式にオープン選手権の不参加を表明しました。
「非常にいい企画だ。おやりなさい。うちにはうちの日程がある。それにしても今回の馬場のやり方は汚い。事前に国際とは話を決めておいて、新日本に対しては唐突に記者会見で呼びかけてきた。これでは最初から新日本は蚊帳の外だ。
全日本と国際が組んだ合同興行に何でうちがのこのこ出ていく必要があるのか。
馬場戦が必ず実現するという保証があるなら何をおいても出ようと思ったが、さして興味のない外国人選手を相手に得点争いをする気なんて毛頭ない。そんな漢然としたトーナメントに自分のところのテレビ局(テレビ朝日)に不義理をしてまでなんで出なきゃいけないのか。シングルでの一騎打ちならいつでも出る。俺を出したければ番外戦でも良いから開幕戦で馬場との試合を組む事だね。やりそうでやらないなのが全日本のやり方だから。」
馬場のやり方に対して怒り心頭の猪木でしたが、こうして世間が注目した猪木の全日本マット登場、夢のBI対決はあっさりと流れてしまったのです。

11月に入り、オープン選手権の出場全メンバーが正式に発表されました。
ドリー・ファンク・ジュニア、ハーリー・レイス
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ドン・レオ・ジョナサン
ダスティ・ローデス、ホースト・ホフマン、バロン・フォン・ラシク
ケン・マンテル、ミスター・レスリング、ディック・マードック
パット・オコーナー、ヒロ・マツダ
ここに全日本プロレス所属のジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤー、アントン・ヘーシンク、さらには国際プロレスからラッシャー木村、マイティ井上、グレート草津、大韓プロレス協会所属の大木金太郎が加わった全20選手で優勝を争うというのですからプロレスファンは度肝を抜かれました。
当時のNWA(全米レスリング同盟)の会長に「(繁忙期の年末に)おまえはアメリカのプロレス・マーケットを空っぽにする気か?」と冗談とも本気ともとれる発言をさせた程の史上空前の豪華メンバーを来日させ、馬場は満天下にその政治力を見せつけたのです。

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 超豪華メンバーが集結した「オープン選手権」の大会パンフレット

世界最強の男は果たして誰か? プロレス界から勝負論が希薄になった現在、こんな言葉は死語でしょうが、昭和の時代のファンは絶対に実現しないドリームカードを夢見て空想の世界で楽しんだものでした(私もよくやりました 笑)。
そんな昭和のマニアたちの間で「あれこそ真の世界最強決定戦だったのでは?」と未だ語り草になっているのがこのオープン選手権で、今改めてメンバー表を見てもすごい顔ぶれが揃ったものだと思います。
出場選手の半数近くが故人となっている事が39年の歳月を感じさせますが、願わくばここにアントニオ猪木が加わっていたら完璧でした。

出場メンバーが正式決定し、オープン選手権の実行委員会は出場を拒否した猪木を非難する声明文を発表しました。
「(前略)ところで誠に残念であったのは、新日本プロレスの参加が得られなかった事です。新日本プロレスを代表するアントニオ猪木くんだけはその日頃の言動からして、何をおいても当大会に出場して、普段対戦する事のできない世界の強豪を前に彼の真の実力を実証してくれるものと期待していたのですが、当大会の趣向には賛同すると言いながらも積極的に参加の意思表示もないまま、早々と不参加表明をした事は理解に苦しみます。かねがね猪木くんはジャイアント馬場くんへの挑戦を繰り返し、あらゆる条件を馬場くんに任せてフリーの立場で戦うとまで言い切っていました。
馬場くんが門戸を開放した本大会は猪木くんに与えられた唯一無二の舞台であったはずです。 この絶好の機会を自ら放棄した猪木くんは今後、自分本位の挑戦を繰り返す権利を全て失ったものと解釈されてもやむを得ないでしょう。(後略)」

「普段対戦できない世界の強豪」とは馬場と比べると海外マットとのパイプが細く、著名な外国人選手を招聘できなかった猪木に対する痛烈な皮肉です。
しかしどちらかと言うと当時のファンやマスコミなどの世論は猪木に同情的でした。
猪木が逃げたという声は少なく、馬場は猪木が最初から出場しない(日程的にも出場できない)のを見越して呼びかけた、という見方が一般的だったのです。

この時代のジャイアント馬場の側には、Mという人物がいました。
M氏は馬場の良き相談相手で、事実上全日本プロレスの影のフィクサーと言える存在でした。
このM氏が自身も深く関与していたオープン選手権の実現の経緯について後年、衝撃的な内幕を明かしました。
「あの頃も猪木が出場できないのがわかっていて呼びかけた、という批判がありましたが、とんでもない。我々は本気で猪木が参戦してくるつもりで準備していましたよ。
あの時の外国人メンバーの顔ぶれを見て何か気がつきませんでしたか…?」

ここでもう一度、前述の参加メンバーをじっくりと見てください。
レイス、デストロイヤー、マードック、ホフマン、オコーナー
ジョナサン…etc
そう、所謂セメント(ガチンコ)、シュートの強さでは定評のある選手ばかりがリストアップされていたのです。
ナチュラルな強さではナンバーワンと言われたドン・レオ・ジョナサン、アマレスで鳴らした元世界王者のパット・オコーナー、欧州マットにおいてはあのビル・ロビンソン(FILE No.371,372参照)と双璧と言われた実力者のホースト・ホフマン、いずれも地味ながらも腕っぷしには自信がある選手たちです。
元アマレス全米選手権者のミスター・レスリング(ティム・ウッズ)は素人と戦ったアトラクションで左手の薬指を食いちぎられ、その報復に相手の片目の眼球を指でくり抜いたという武勇伝があり、いっけん怪奇派の悪役に見えるバロン・フォン・ラシクも実はアマレスでオリンピックの代表選手に選ばれた経歴を持っています。
超一流のドリー・ファンク・ジュニア、ザ・デストロイヤーの実力は言うに及ばず、ハーリー・レイス、ディック・マードックのルールのない喧嘩になった時の強さも有名です。
そしてこれらのシューター、喧嘩屋たちは全て、馬場が用意した猪木潰しの為の刺客だったのです! 改めて来日外国人メンバーを写真でご紹介しましょう(こちらをクリック)。

M氏はこの「猪木抹殺計画」とも呼ぶべき恐ろしいプランの全貌を赤裸々に語りました。
「あれは私のアイディアで、猪木を黙らせようとしてやったのです。
オープン選手権という名称にしたのは、対戦したがっている猪木さんに対してもオープンな姿勢ですよという意味ですから。
そしてガチンコに強い連中を集めて、猪木に対して一番手はホフマン、次にマードック、レイス、よしんば猪木が勝ち上がってきたら最後はデストロイヤーを当てて、と馬場と相談してカードを全部考えていました。

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 M氏が明かした猪木抹殺計画の全貌とは?

当時でもデストロイヤーは恐ろしく強かったし、他にもオコーナー、ミスター・レスリング、ドン・レオ・ジョナサンが控えているのですからどうやっても猪木は勝てなかったはずです。」
マッチメイク権は主催者側にある為、猪木は相手を選ぶ事は出来ません。
つまりこの大会に参加するという事は馬場が用意した危険な包囲網の中に自ら飛び込む事を意味していたのです。
猪木にとっては毎日が危険なセメントマッチの連続、いかに猪木と言えども連日に渡ってシュートの強さでは絶対的な自信を持った選手たちに観客にはわからないところで暗黙のルールを無視した攻撃を仕掛けられたら…。最悪の場合、怪我程度では済まず選手生命の危機となっていた事は間違いありません。
「我々は猪木が参加してくると想定して、シリーズ終盤では馬場−猪木戦も組んでいました。しかし実際にはそこまで持ちこたえられなかったでしょう。
もし猪木を参加させていたら新日本の将来はなかったでしょうね。」

華やかなオープン選手権の裏側で仕組まれていた猪木潰しの恐ろしい罠、この話を聞いた時私が思い出したのがアニメの「タイガーマスク」で描かれていた「ふく面ワールドリーグ戦」でした。
未見の方の為にあらすじをかいつまんでご紹介すると、タイガーマスクは「虎の穴」(悪役レスラー養成機関)が主催するふく面ワールドリーグ戦出場のオファーを受け、優勝賞金を盲目の少女の目を治す手術代に充てる為に出場を決断します。
参加メンバーは全員悪役のマスクマン、あらゆる反則がOKという過激なルールが採用されたこの大会は、実は裏切り者のタイガーを抹殺(リング上でのアクシデントを装った殺人は合法的!)する為の舞台でした。
優勝賞金は実はタイガー抹殺を成し遂げた者が獲得できる手筈だったのです。
この図式、タイガーを猪木に置き換えるとオープン選手権と全く同じじゃないですか!
馬場さんとM氏はこのふく面ワールドリーグ戦をヒントにして猪木抹殺計画を思いついたのでは、というのは勘ぐり過ぎでしょうか?
アニメではタイガーが、敵の罠を知りながらも盲目の少女の為に半死半生の思いで次々と刺客たちを倒し、ぼろぼろに傷つきながらもかろうじて優勝戦線に留まります。
残る相手は全身を包帯で包んだエジプト・ミイラと虎より強いという触れ込みで獅子のマスクを被ったザ・ライオンマンの二人でした。
手負いの状態でこの二人に連勝しないと優勝できない絶体絶命のタイガー、ところがここでハプニングが起こりました。
身長2mを越える、縞馬の柄のコスチュームで全身を包んだ謎のマスクマンが現れ、ふく面ワールドリーグ戦への割り込み参加を要求したのです。
長身の謎の男は自らをザ・グレート・ゼブラ(偉大な縞馬)と名乗りました。
ゼブラのごり押し要求で決勝戦は急遽、タイガーマスク、グレート・ゼブラ組 vs ライオンマン、エジプトミイラ組のタッグマッチに変更が決定(なんでやねん! 笑)、勝者チームに賞金が贈られる事になりました。
タイガーは、助っ人を装っているもののゼブラも実は虎の穴の刺客だろうとはなから信用していませんでした。3対1になる覚悟で試合に挑んだのです。
当然試合はぎぐしゃくした展開になりましたが、献身的にタイガーをヘルプし続けるゼブラの試合ぶりに次第にタイガーも信用するようになり、最後は見事な連係でタイガー、ゼブラ組が血みどろの勝利を掴み優勝賞金を手に入れました。

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 グレート・ゼブラの
正体は?

試合後の誰もいない控え室、タイガーは試合中に気がついたゼブラの正体をずばり言い当てます。「あなたは16文の先輩、馬場さんだ!」
照れ笑いをしながら「いやあ、やっぱりのっぽは隠せないなあ。」とマスクを脱ぐゼブラ、その正体は少女の為に危険を承知で孤軍奮闘するタイガーを助けに来たジャイアント馬場だったのです。
アニメでは助っ人役の馬場さんが現実のオープン選手権では罠を仕掛ける側というのは皮肉ですね(笑)。

猪木が参戦を回避したのは日程の都合や、確実に馬場との試合が組まれるかわからない事も勿論あったのでしょうが、「外国人相手の得点争いなど興味がない」という言葉の裏に馬場の仕掛けた罠にうすうす気がついていた節が見え隠れします。これまでも幾多の修羅場を潜って来た猪木ですから動物的な嗅覚で危険を察知していても不思議ではありません。
本気で怒った時の馬場の恐ろしい政治力が身に染みたのか、この騒動以降、猪木の馬場に対する挑戦問題は明らかにトーンダウンしました。
翌年にモハメド・アリとの試合(FILE No.177,382 参照)が決まってそれどころでは無くなった事もあったのでしょう。 アリとの世紀の一戦を終えた後の猪木の胸中には「もういい。俺は馬場を越えたんだ。」という自己満足があったと思われます。
ファン心理というのは残酷なものであの時猪木にあえて恐ろしい罠が張り巡らされたオープン選手権に敢えて参加し、悲願であった馬場戦にたどり着いて欲しかったと妄想する事があります。
両者が戦って真の名勝負になり得るタイミングとしてはこの時期がぎりぎりだったと思うからです。

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 華やかに開幕したオープン選手権、猪木出場は幻に…

猪木出場は幻に終わったもののオープン選手権は全国各地で爆発的な人気を呼び、主催者&エースの意地を見せたジャイアント馬場が優勝の栄冠を勝ち取って幕を閉じました。
歴史にIFはないですが、もしあの時猪木が出場していたら…その後のプロレス界はどんな運命を辿ったのでしょうか…。

<参考文献>
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「防御は最大の攻撃なり!!」
(日本スポーツ出版社)
 「プロレス&格闘技 迷宮ファイル3」
(芸文社)

「G SPIRIS」(辰巳出版)
「週刊(月刊)ゴング」(日本スポーツ出版社)
「バトル千一夜」(ファンサイト)
<過去の日記>
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