早いもので本日から9月、まだまだ暑い日が続いていますが、今週はその暑さがピークだった7月後半ネタの総集編をお届けします。
21日は高円寺のスネークピットジャパンにて、北沢幹之(もとゆき)さんをゲストに迎えたトークイベントに参加しました。
日本プロレスから始まり東京プロレス、新日本プロレスとアントニオ猪木と行動を共にして魁勝司(かいしょうじ)のリングネームで活躍、81年に現役引退後はUWF(第1次)やリングスでレフェリーを務めた大ベテランですが、北沢さんは6月の保永さんのトークにもゲスト出演されましたので、二か月連続でお話を聞けました。
「日本プロレスからメキシコに遠征中に猪木さんが追放されて、倍賞美津子さんからそろそろ帰って来て貰う事になると思うと電話があり、その後猪木さんがメキシコまで来てくれた。」
「自分は一番二人のファンでしたから、二人が離婚したと聞いた時は泣きましたよ。」
(Gスピリッツインタビューより)
猪木さんへの傾倒ぶりは今でも凄く、「何の仕事についてもとにかく一生懸命やる事」と言う言葉が最高の教えだったとおっしゃっていました。
因みに悪名高き?高田延彦の暴露本「泣き虫」で、高田が新日本プロレスの新弟時代に二人の先輩に連れられていつの間にか相撲部屋に入れられたエピソードが出てきますが、この二人が北沢さんと荒川真さん(故人)だった事が判明!
北沢さん曰く「高田は足腰が強かったから力士に向いていると思って」(笑)こんな秘話が聞けただけでも行った甲斐がありましたよ。
ところでこの日は水道橋のプロレスショップ「チャンピオン」でも元W☆ING代表の茨城清志氏がゲストにケンドー・ナガサキこと桜田一男さんを招いてトークイベントをやっており、出来ればそちらにも行きたいと思っていました。
高円寺が14時に対し水道橋は15時開始、トークはとても無理なのでせめて最後の桜田さんとのツーショット撮影会に間に合わないかなと思っていましたが、あちらのトークタイムは90分の予定、16時半に到着出来ればぎりぎり間に合う計算でした。
しかしこちらが終わったのがちょうど16時半、こりゃとても無理だと内心諦めましたが、今宵は後楽園ホールで新日本プロレスを観戦する為どちらにせよ水道橋には行くので、17時過ぎに水道橋駅に到着した時、ダメ元の気持ちでお店に電話してみたら何と、大幅に時間が押してまだトークをやっているとの事!汗だくで全力疾走し飛び込みました。
会場内に入るとすぐに質問コーナーに突入したので大幅に遅れてきた分際で手を挙げたら桜田さん、皆の前で「おっ、いつも有難うね!彼はいつも来てくれるんだよ。」
皆の視線が集中して恥ずかしかったですが、この日桜田さんには三回ぐらいお礼を言われて恐縮しきりでした(笑)。
質問はSWS関連の事でそこからまた色々と話が弾んだのですが、今回はスペースの都合で割愛…SWSに関してはいずれ詳しく取り上げたいと思っていますが、詳しくは桜田さんの著書「ケンドー・ナガサキ自伝」を是非ご一読ください…って、また宣伝してるよ(笑)。
時間が押してくれたおかげで結局トークも30分ぐらい聞けたし、ツーショット撮影会にも参加できて本当にラッキーでしたが、W☆INGと言えばやはりミスター・ポーゴさん(故人)、この日のトークは終始ポーゴさんの話題(悪口!?)で盛り上がっていたようです(笑)。サイン会の時も茨城氏がふざけてポーゴTシャツを横に翳すとマジで嫌がる桜田さん、余程お嫌いだったんですね(笑)。
イベント終了後は超満員札止めの後楽園ホールにて新日本プロレスの真夏の最強戦士決定戦「G1 CLIMAX」の公式戦を楽しみました。
(新日本プロレス後楽園の模様はこちらをクリック)
翌22日はお昼からまたも後楽園にてDDTを観戦、もっとも私のお目当ては赤井沙希ちゃんの試合&サイン会のみ(笑)でしたが、その沙希ちゃんはタッグのロイヤルランブルに出場もオーバー・ザ・トップロープで敗退、リング上での実質的な試合時間はほんの数分でした。…いつも思うのは6人タッグとか8人タッグとかDDTの沙希ちゃんのマッチメイクはしょぼすぎるよ!
男子団体の中で女子の所属選手はただ一人、しかも芸能活動との兼ね合いもあって全戦でなく限定出場の制約があるのはわかりますがこれでは宝のもち腐れ、沙希ちゃんグッズも無いのでサイン貰うのも毎回色紙だし(苦笑)、折角の素材をもっと活かして欲しいですよ。
(DDT後楽園の模様はこちらをクリック)
後楽園の後は恵比寿へ移動、本日のメインエベント、「太田裕美コンサート2018」にやって来ました!
待望の、ほんとに待望のフルバージョンのソロ・コンサート、昨年6月の渋谷に行けなかった(ネス湖にネッシー探索に行っていた為=FILE No.535〜537参照)
私にとっては昨年4月京都(FILE No.531 参照)以来、1年3か月ぶりのソロコン(感涙)、この日をどれだけ首を長くして待っていた事か…そしてもう一つのお楽しみは新作グッズの発売でした。
新作と言っても裕美さんの新しいTシャツ、実は昨年の渋谷から発売された商品で、当然行けなかった私は入手出来ず…後で聞いた話によるとあっという間に売り切れてしまい、コンサートの途中で追加を取りに行っていたものの終了後には品薄状態だったようです。私の場合XL、せめてLサイズでないととても着れませんが、MとかSばかりが余っていて多くのファンが「欲しいサイズが無い」とボヤいていたようです。大体ファンの年齢層考えてよ、腹出たオッサンばかりなんだから(笑)、大きいサイズが圧倒的に需要ある事ぐらいわかるでしょうに(笑)。
買いそびれた私としてはその次のコンサート(8月の鹿児島)に行った時に買いたかったのですが「なごみーず」や「三人娘」など、以降のコンサートではCDしか売られておらず、そのうちにTシャツのシーズンも終わってしまいました。
結局会場販売は渋谷のたった一日だけ、それならせめて通販をやってくれないとかと期待しましたがそれも叶わず…会場に行ける人なんて限られているのですから通販ならかなり売れると思うのですが、この商売っ気のないところがまた裕美さんの事務所らしいなあと(笑)。
そんなわけでこの一年、全国の会場でTシャツ着ているファンを羨望の目で見てきた私にようやくリベンジの機会がやって来ました。
しかしサイズによって品薄状態はあまり変わらないようなので、この日も異常に暑い日でしたが会場である恵比寿ザ・ガーデンホールの入り口前には開場時間の一時間以上前から並びましたよ。開場と同時にグッズ売り場にまっしぐら、おおっ、夢にまで見たTシャツが!白、黒に加え今回から新発売の紺色、そして別柄の白の計4種で幸いにもXL(一種だけL)が在り、さらに今回から発売のタオルとクリアファイルも含め大人買いしたら売店のスタッフが目を丸くしていました(笑)。
ようやく念願を果たし、あとは席に着いて一年三か月ぶりのソロコンを心行くまで楽しみました。いや〜、やっぱりソロはいいですわ、ほんと二時間があっという間でしたよ…。
月末の翌週、この週は上京するつもりは無かったのですが、神保町の書泉グランデで「真説・佐山サトル」(集英社インターナショナル)の出版を記念して初代タイガーマスクこと佐山サトルさんと著者の田崎健太さんがトーク&サイン会をやると言うので急遽行ってしまいました。ほんと7月だけは毎週東京三昧ですが、どうしてもサイン本は欲しかったもので(笑)。
佐山さんはトーク中は素顔でしたが、サイン会の時はファンサービスで虎のマスクを着用、トークは勿論本の中身も大変濃く全500ページをその日の夜に読み切ってしまいました。
尚、この本に書かれている、佐山の85年の著書「ケーフェイ」(元祖暴露本?)の内容に怒ってスーパータイガージムの襲撃を企てていた某外国人とは…ブルーザー・ブロディです! 佐山VSブロディのストリートファイトが実現していたらと思うと恐ろしいですね…。
サイン会終了後は会場で合流した友人と新宿・歌舞伎町に移動、「ウルトラマンA」TACの吉村隊員役を演じた佐野光洋さんのバーに連れて行って頂きました。
ドラマの中で吉村隊員がギターの弾き語りで「TACの歌」を歌うシーンがありますが、この日は大サービスでその「TACの歌」を一緒にデュエットして頂き感激しました。
4年後の「A」50周年には是非何かやりたいという佐野さん、これからもお店に遊びに行きたいと思います。
今回は予定になかった上京、翌日の28日は「太田裕美コンサート2018」が今度は京都で開催とあってすぐに帰らなければなりませんでした。
一週間に二回もソロ・コンサートがあるという幸せ…しかしこの日は台風が来ていたので予定より早めに新幹線に乗車しました。万一遅れたり、止まったりした日には泣くに泣けませんからね。心配は杞憂に終わり遅れる事もなく無事京都着、会場である京都劇場は京都駅の駅ビル内にあるのでアクセスも最高でした。
さて、ソロの時には普段はなかなか生で聴く機会の無いアルバムの曲を歌う裕美さん、昨年の京都の時はお恥ずかしながら聴き覚えはあっても咄嗟にタイトルが出て来ない曲がいくつもありました。
こんな事ではいかん、次回のソロコンまでに聴いたらすぐにタイトルが思い浮かぶようにしておこうと一念発起、一年三か月がかりで改めて裕美さんの全CDを総チェックしました。
特訓?の甲斐あって今年の東京・京都は昨年よりは善戦?したもののまだまだ完璧とは言えず…何しろ裕美さんの持ち歌300曲以上ありますからね〜…これを覚えるのはかなり至難の業です。
裕美さん自身この日のステージで「アルバムも本当に精魂込めて作っていたので、私自身はアルバムの方に好きな曲が多い」と語っていましたし、次回に備え、また聴き続けようと思います。
78年7月からファンになった私にとってこの月はファン歴40周年記念月間、その記念すべき月にこうして生歌を聴ける幸せを噛み締めていました(涙)。
11月にはデビュー45周年目に突入する裕美さん、来年には45周年の企画もあるようなので(本人曰く「なんちゃって45周年」笑)大いに期待しています。
台風もようやく去った翌29日は全日本プロレス大阪大会に行って来ました。
会場は全日本にとって4年ぶりの進出となる大阪府立体育会館の第1競技場(メインアリーナ)で、満員にはならなかったものの4年前と比べても善戦健闘、試合も三冠、アジアヘビー、アジアタッグの三大タイトルが移動する波乱続出で大いに湧いていました。
(全日本プロレス大阪大会はこちらをクリック)
目まぐるしかった7月、月末に原稿を書き終える寸前になって海の向こうから“ロシアの白熊”ニコライ・ボルコフ(日本での表記はニコリ・ボルコフ)死去の訃報が届きました(享年70歳)。
わずか三ヶ月前にニューオリンズの「レッスルコン」でお会いしたばかりで、その時はお元気そうだったので未だ信じられない思いです(涙)。私が日本人と見ると「ババ、イノーキ、リッキドーゼン、ツルタ、ヨシムラ…」と覚えている日本人選手の名前を連発、本当に「陽気なお爺ちゃん」でした…。謹んでご冥福をお祈りします。
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