包装資材の専門商社 タミヤ

ホーム タミヤのチカラ 商品ラインナップ 環境保全活動 会社情報 お問い合わせ

会社情報

Home > 会社情報 > 社長の経営日誌
会社概要
主要販売・仕入先
社長の日誌

社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.601 2018.11.24  

「 海賊亡霊の事件簿(2) 」

前回でめでたく600回を突破した当ブログ、恒例により601回目となる今週からタイトルバックを一新しました。
“仮面貴族”ミル・マスカラスのミステリアスなマスクを並べてみましたが、最後の来日からはや1年、試合をしなくても良いのでもう一度マスカラスに会いたいです(…と書いた直後、以心伝心?来年2月に来日決定!やったぜ!)。

マスクマン繋がりと言うわけではないですが、601回目の主役は昭和の末期に暗躍しヒンシュクを買った海賊亡霊ガスパーの登場です。
401回目(FILE No.401「海賊亡霊の事件簿」参照)に続く特集で(是非そちらを一読のうえ本稿にお戻り下さい)前回のラストで「来年に続編を」と結んだものの私もいい加減なものではっと気がつくと4年も経ってしまいました。
そう言えば昨年だったか、面識のない方から「ブログ読んでいます」とフェイスブックの友達申請が届き、どうやってこのブログを知ったのか興味津々でお尋ねすると、新日本プロレスの大阪城ホール進出時(FILE No.433「大阪城ホール」参照)に海賊男について調べようと検索したらここに辿り着いたとの事でした。これも海賊が取り持つ縁です(笑)。 

 クリックで拡大
 突如出現し武藤を襲った海賊亡霊、その正体は何処かで見た人?

改めておさらいすると海賊が最初に姿を現したのは1987年2月10日、フロリダ州のタンパ、スパルタン・スポーツセンターでの武藤敬司VSジェリー・グレイの試合前でした。苦労してようやく当時の雑誌に載った元祖・海賊の写真を発掘しましたが、スラッとした長身のルックス、全身を衣装で覆いマスクをしても特徴的なアゴがやはり目立つ、頭隠してアゴ隠せずですなこれ(笑)。
海賊変身疑惑に当時の猪木さんは「冗談じゃないよ、俺はその日東南アジアに出張していてアリバイがある」とコメントしていましたが、その後に海賊が日本に出没するようになると「フロリダには街中が皆海賊の格好をするガスパーっていう祭りがあるんだよ。」
このガスパーなる祭りについてはずっと気になっていてインターネットで調べてみると、確かにタンパで毎年2月上旬にそのような祭りが行われているという記事をいくつか発見しました。正式名称は「ガスパリーラ・ピレイト・フェスティバル」、18世紀にスペインからやって来た海軍上がりの伝説の海賊ホセ・ガスパーを称えたものだそうです。
悪人を称えると言うのも不思議な話ですが(笑)、始まったのが1904年と言うので実に一世紀以上もの歴史があり、地元では完全に定着しているようです。
WikipediaでJose Gasparを検索するとこの伝説の海賊に関するデータが出て来ましたが、全文英語につき1756年に生まれ1821年に没したらしい事、スペインの海軍にいたが海賊に転向?してカリブ海を中心に暴れまわった事、没する直前に金銀財宝をタンパ周辺に隠したとの説があるが未だ発見されていない事などしか分かりませんでした。そもそも実在した人物ではなく、創作上の存在との説すらあるようです。
WWEが全米プロレス界を統一する以前のテリトリー制の時代には毎年この祭りの時期に合わせて地元のプロモーションCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)が「ガスパリーラ・スぺクタキュラー」なる特別興行を開催していました。

 クリックで拡大
 クリックで拡大
 乱入を繰り返し88年から
正式参戦

そう、前述の猪木海賊?が出現した大会こそがまさにそれだったわけで、この事を知った時私の長年の疑問がようやく解けました。
海賊が武藤を襲撃したのはあくまで日本向けのアングル(実際この後のストーリーは全て日本で展開)、当日会場に来たタンパのファンは口ポカーンで訳が分からなかったでしょうから、よくそんな観客不在の事が成立したなとずっと不思議に思っていましたが、大会名が海賊をもじった「ガスパリーラ」なら話は別です。
日本に例えるならスターダムのハロウィンに因んだ大会(マスクフェスタ)に選手が仮装するようなものですから、当日の観客は海賊の乱入を演出の一環と違和感なく許容したのでしょう。いや〜、30年越しの謎が解けてすっきりした!…って、こんな事で30年も悩んでいた?私も私です(笑)。
あまりにネタがマニアック&マイナー過ぎて既にプロレスファンの読者すらついて来れなくなっている事でしょう、すみません、どうぞ皆さん読み飛ばして下さい(苦笑)。

日本で使用された海賊のコスチュームは長くケロちゃんこと田中リングアナが保管していたと96年頃の週刊ファイトの連載コラムで読んだ記憶があり、後年上井さんと知り合った時にその事を思い出してケロちゃんに連絡を取ってもらい譲ってもらおうと画策しましたが結局見つかりませんでした。
引っ越しの際に処分してしまった可能性が大との事、ああお宝が勿体無い…(涙)。
それとは別にもう20年前になりますが自分でコスチューム一式を揃えようと行動を開始しました。
何と言っても一番大事なのは海賊の象徴であるアイスホッケーのゴールキーパー用マスクです。アイスホッケーと言うより今や映画「13日の金曜日」で殺人鬼ジェイソンが被っていた事で有名な通称・ジェイソンマスク、ホッケーで現在使われているのはヘルメット形式のもので、今時こんなマスクを被っているゴールキーパーなどいません(笑)。ラッキーな事に私はたまたま梅田の大きなスポーツショップに一つだけあったのを発見しましたが、その時も既に製造中止で今後は入荷無しと言われたのを覚えています。
頭に被る赤い布は生地屋に行って長めに切ってもらい、白いブラウスはよくダンサーが着ているものを流用しました。
問題はチョッキでしたが、ビロードの革を加工してチョッキの形状にしてもらい、家族に拝み倒して金の縁取りをミシンで縫ってもらいました。杖を買って靴下は赤色、靴はリーボック指定(だったとか笑)、これで無事完成となりました。

 クリックで拡大
 無謀にも猪木様を襲撃
 クリックで拡大
 横で小川さんは呆れ顔
(笑)?
 クリックで拡大
 お菓子用のステッキでスリーパー
 クリックで拡大
 最後はあっさりお詫び、
場内爆笑
 クリックで拡大
 クリックで拡大
 二度目は暑いパラオにて猪木様と記念撮影
 クリックで拡大
 三度目は入場テーマまで、しかもテレビ中継あり!

折しもこの年(98年)、初めて「闘魂猪木塾」に参加し渡米、折角ならお披露目しようとコスチューム一式を持参しました。
宿泊したホテルで夜に海賊に変身してもう寝入っている他の塾生の部屋に乱入して驚かせていましたが、夜間にホテルの廊下をこんな格好でウロウロしていたら銃社会のアメリカ、一歩間違えりゃ暴漢と間違われ射殺されるところでした(汗)。
最終日の講演会タイム、これからやって来る猪木塾長をこれで驚かそうという話になり、席に座った猪木さんに背後から襲いかかるという今思えば赤面ものの事をやってしまいました。スーツケースに入らない杖は持参していなかったのですがアメリカに着いたら良い物を発見、ステッキ型のチョコレート菓子が売っていたのでこれを代用して無謀にも猪木様にステッキ・スリーパー!
「いたねえこんな人」と猪木様も大笑い、隣の小川直也選手の呆れた表情にも注目を(笑)。
しかしこの余興、参加者の皆様にバカウケで以降毎回期待されるようになり2000年にはパラオ、2001年には再びアメリカと馬鹿の一つ覚えで計3回もやってしまいました。3回目の時は友人がガスパーズのテーマ曲「マジック&エクスタシー」(映画「エクソシスト2」のサントラに収録)を提供してくれたので、入場テーマに乗って乱入とバージョンアップ(笑)、さらにこの年はサムライテレビの取材が入っており、私の醜態が全国に晒されてしまいました(苦笑)。
尚、猪木さんからは「このチョッキはどうやって作ったの?」と逆質問、おまけに「海賊男1号の正体は誰でしょう?ムフフフフ」と掟破りのケッフェイ発言もありました(笑)。

その後15年も封印していた海賊コスチュームに出番が訪れたのは一昨年の12月、上井さんが我がご近所の城東区民ホールで大会を行った時、ゲストとしてマサ斎藤さんの来場が決まり海賊ガスパーを一夜限り復活させる事になった時でした。
ガスパーの正体は武藤敬司選手でしたが、9月に発売されたGスピリッツ(マサさんの追悼特集)で上井さんが当時の内幕を語っていました。
「何をやろうと思っていたら、知り合いの社長さんと話をしている時に“大阪でマサさんと言ったら手錠事件(大阪城ホール暴動)ですから、ガスパーをやりましょうよ”と言われたんですよ。」
上井さんははっきり田宮社長と言ったそうですが、編集部が変に気を回して名前はカットした模様、実名で載せてくれよ(笑)!
実家に帰って衣装一式を無事発掘し上井さんにレンタルしたものの当日出現した海賊はマスクのみ着用で杖ではなくビニール傘を持っていたのでいささか拍子抜け(笑)。
衣装は私が着てもサイズが合わないぐらいですから(15年の歳月を感じる…)納得ですが何で杖ぐらい使ってくれなかったんだろ?と疑問でしたが、以下は上井さんのコメントの続きです。
「武藤さんにガスパーをやって欲しいと伝えたのは当日なんですよ。そうしたら“そんなの出来るわけないじゃん”って(笑)。“頼む、マスクだけは被って欲しい”“被れるわけないよこんなの!”のやり取りがあって試しに被ってもらったらサイズがピッタリでした。
本当は杖も用意していたのですがこれ以上ヘンな小道具を出すと武藤さんが嫌がると思ったから渡さなかったんです。そうしたら何処からかビニール傘を用意していてびっくりしましたね。」
ところが同じ号には武藤選手のインタビューも掲載されていて
「ガスパーの杖が用意されていなかったんだよ。だから直前に俺のマネージャーが会場の事務所でビニール傘を借りて来たんだ(笑)」と真逆の発言!
しかし杖は間違いなく用意されていました、調達した本人が言うのですから間違いありません(笑)。
(当日の詳細はFILE No.502,503参照) 来年2月にはやはり同じ城東区民ホールにてマサさんの追悼大会が決定しましたので、海賊マスクを持参して参加したいと思います。あくまで私の願望ですが、猪木さんが来場して下されば最高ですが…。

今年になってプロレスリング・マスターズのリングでめでたくガスパーズが復活、しかも衣装が結構忠実にオリジナルを再現しており喜ばしい限りです(笑)。
私の海賊衣装一式は再び封印しましたが、いつの日かフロリダの海賊祭りに海賊衣装で参加したいものです。ガスパーズの祖先、ホセ・ガスパーに献杯…。

602回目の来週は久々にあの人♥が登場!

<過去の日記>
サイトマップご利用にあたってプライバシーポリシー

(c) 2007 TAMIYA.Ltd