FILE No. 822 「マスク真理教(1)」

「マスク真理教(1)」

今週は前回予告通り12月ラストネタをお届けする予定でしたが急遽変更、「ここで番組の途中ですが内容を変更してお届けいたします」(笑)。

政府が重すぎる腰をようやく上げて5月8日より新型コロナウイルスの感染法上の扱いについて現在の2類から5類に引き下げる事になりました(*これを書いているのは1月末)。
これと同時に屋内でのマスクの着用については「個人判断に任せる」となんとも無責任な見解(苦笑)・・・いずれにせよ「やれやれ、やっとマスクが外せる」と喜んでいる人も多いと思いますが、考えが甘―い! 何しろ、昨年政府が「屋外では不要」と唱えても笛吹けど人踊らず、真夏の猛暑の中ですらマスクを手放さなかった連中が簡単に従うわけがありません。そもそも論で言えばマスク着用は任意ですから今すぐでも外せるわけで、5月まで待つ意味が分かりません。
同調圧力に弱い日本人、実際には周りの目が怖いからマスク離れが出来ないと言う人がかなり多く、私の大雑把な推測ではガチガチのマスク信者(こういう奴らが一番始末が悪い!)が20%、周りに合わせてマスクをしている人が60%、ノーマスク派(正常な人)が20%と言ったところでしょうか。この日和見的な60%は皆が外せば自然に従うので、強力なムードが必要なのに政府の相変わらずの腰砕けぶりには呆れます。

そんな中、SNS上で「ドイツから日本のマスクの人々を見て思うこと」と題した文章を発見、これまでにも様々な人の意見を目にして来ましたが、これぞまさしく私が思っていた事!と思わず膝を打ちました。執筆されたのは川口マーン恵美さんと言うドイツ在住の作家の先生ですが、本当に日本国民全員に読ませたい内容なので、ほぼ全文をご紹介致します。

(川口マーン恵美  アゴラ https://agora-web.jp/archives/230120082727.html

「ドイツではマスクの着用が感染予防の為の止むを得ない措置として、各州で義務つけられたいた時期があった。 但しドイツ人にとってのマスクは常に“非正常”の象徴だったらしく、着用義務が解除された途端、殆どの人がマスクを外し景色はあっと言う間に昔に戻った。
(中略)1月18日には、2021年に開催されたサッカーの欧州杯で計84万人がコロナに新規感染したとの研究成果が発表されたが、もう誰も騒がなかった。
つまりコロナは様々なダメージや後遺症を残しながらも既に収束しており、それはドイツだけでなく正常化を望む欧米の殆どの国で共通している。
ところが、常にEUに追随している日本がこれだけはそうならない。
電車の中は勿論、人もまばらな屋外ですら皆がマスクを着用している様子はコロナを過去のものとしたくない気持ちが何処かで働いているようにさえ見える。しかも日本の特徴はマスク着用についてかなり感情的な議論がなされている事だ。
「マスクをしている人には他人を思いやっていると共感を覚える。」
友人のこの意見に私はかなりの違和感を持ったが、それがさらにエスカレートしネット上で「マスクをしないのは他社への配慮や優しさに欠けた人」と言う批判を目にした時には、これは危険な兆候だと感じた。
マスク着用の有無が人間としての資質や善悪に結び付けられている・・・そもそも、これだけ皆がマスクをしていても感染は広がっているのだから、実はマスクには殆ど感染予防効果など無いと考える方が科学的ではないのか。 しかし多くの日本人の脳内ではマスクは感染予防の目的を離れ、何かカルトに近いものになりつつあるような気がする。
私はマスクについては、顔の半分を隠し表情による感情表現が希薄になる事実だけをとっても非常に危惧すべきであり、健全な社会を取り戻す為には出来る限り早く無くさなければならないと思っている。
ある議員が「目の不自由な人は他人の表情を読み取れないが、だからと言って発育が妨げられているわけではない。」と言ったがこれこそ論点のすり替えだ。
身体の不自由な人はそれを補う為に特殊な能力を身に付けるし、その事に私たちは多大な敬意を払うが、だからと言ってその能力を万人が持たなければならない理由を私は見つけられない。人が相手の表情を見ながら集団生活を送るのはごく自然な事であり、それをわざわざ妨げるのは間違いだ。

12月21日付け産経新聞によれば、マスク着用が緩和されても76・7%の人が今後もマスク着用を続けると回答している。しかも4割の人が感染対策以外を理由としているから驚きだ。
具体的には女性の第1位が「化粧をしていない事を隠せる」、2位が「エチケット」、3位が「素顔を見せるのが恥ずかしい」、男性の1位も「エチケット」(以下、略)・・・いずれにせよこの調査結果を見て愕然とした。どれも物凄く内向きだ。「素顔を隠せる」などあまりに消極的であり殆ど生命力の低下と言う気がする。またエチケットと言うが、よほど咳が激しい人でも無い限り、従来の常識で言うならばマスクをしたまま人に挨拶をしたり話しかける方が失礼だ。
ここで言うエチケットとは恐らく、ノーマスクの人がそばに来ると恐怖を感じる人に対する思いやりと言う意味であり、これが前述の「他人への配慮や優しさ」と言うマスクの意義に繋がるのだろう。しかし人の感じ方は様々で、世の中には異常なほど心配性な人が一定数必ず存在するので、そんな事を言い出したら配慮や優しさがいくらあってもキリがない。
また、ここには書かれていないが、「皆がマスクをしているから」と言う理由もかなり大きいのだろう。と言うより私は日本の場合、実はそれが一番と思っている。
周りを見てからようやく自分も行動する」と言う日本人の特性は調和を重視する意味では美徳だが、時に海外では非常に評判が悪く揶揄されている。
残念ながら普段の国民生活や外交方針を見ても確かにその通りで、特にマスクに関してはこの特性が顕著に出ているようだ。
そもそもついこの前までは顔を隠すのは防犯カメラで身元を特定されたくない犯罪者だけだった。それなのに何故今、これが急にエチケットになったり、皆が自分の顔が恥ずかしくなってしまったのだろう? 顔を隠し感情を出さない社会が健全であるとは絶対に思えないし、そう言う社会で子育てをして欲しくもない。日本が何故こんな国になってしまったのかと思うととても悲しい。

川口マーン恵美  アゴラ https://agora-web.jp/archives/230120082727.html より引用


(次回へ続く)