FILE No. 880 「給食の時間(1)」

「給食の時間(1)」

福岡県で小学一年生の男の子が給食の時間中、おかずの具材として使われていたうずら卵を喉に詰まらせて亡くなる事故がありました。
大変気の毒で不幸な事でしたが、その途端にまたまた始まりましたよ、日本特有の馬鹿まっしぐらの大行進、「給食のメニューでうずら卵(一部地域ではミニトマトも)の使用禁止」…だから!そう言う問題じゃないっての!
こういう場合は、よく噛んでゆっくり食べましょうと指導するのが普通でしょう?
とばっちりを食ったミニトマトも気の毒ですが、それなら数年前にはパンが喉に詰まって子供が亡くなる事故もあったのに、何故パンは禁止にならないの? あれも駄目、これも駄目と言っていたら食べるものがなくなりますよ。
ゆっくり食べるどころか、コロナ禍の時には「14分で食べなさい。」と言う恐怖の「14分ルール」を実施していた狂った学校があったのですよ! 
なんで14分?「マスクを外している時間が15分以内なら何かあっても(コロナ患者が出ても)濃厚接触者にならない。」からだそうで、実際「いただきます」と同時に先生がストップウオッチで時間を測っていたと言うのですから開いた口が塞がらないとはまさにこの事、よく今回のような窒息事故が起こらなかったものです。
金八先生(後にも登場します)なら「この馬鹿ちんがああ!」と一喝してくれるでしょうが、こういう事を真剣に考える教育委員会や文部省のお偉いさんって本当に脳みそにウジが湧いているのでしょうか(笑)?
私に言わせれば体育の時間にマスクで子供が亡くなった事故の後も、一部でマスク着用のまま運動を続ける子供がいる事こそ余程問題で即刻禁止すべきです。
情けない事にうちの会社でも最近またマスク真理教が幅を利かせて来ました(涙)。
相変わらずマスクをして鼻を出している馬鹿や顎マスクなど、だらしない恰好で社内をうろちょろしてんじゃねえ!と怒鳴りつけたくなります(怒)。
マスクを信じないまともな人たちと話していて、
(1)未だマスクを信じ着用している奴 
(2)鼻出し間抜けマスク 
(3)顎マスク 
果たして究極の馬鹿はどれだ!?と言う話題になりましたが正直甲乙付け難い、結局どれも大馬鹿者です(笑)。
あらら、いつの間にか話題が給食からマスクに変わってしまった(笑)、マスク真理教について語り出すときりがないので話を戻します。

不幸な事故の起こった日のメニューを見て、今の給食って随分美味しそうだと感じました。実は数年前にもたまたまニュースで給食メニューを見る機会があって同じ感想を持ち、静岡県で小学校教師をやっている猪木塾仲間に連絡、一週間程献立の写真を送って貰いました(そのうちブログのネタに使わせて貰うと約束しながらすっかり延び延びになってしまいすみません 汗)。
静岡県某小学校の給食メニュー こちらをクリック
今回改めて見直して今時のガキども、あわわお坊っちゃんお嬢ちゃんたちはこんな美味しそうなの食べているんだ、私らの時代とは大違いだと羨ましい限りです。

今は食べられない食材は殆ど無い(人間の好き嫌いは多し 笑)私ですが、実は幼少期は凄い偏食で、幼稚園はお弁当だったので良かったのですが、小学校に入学後の給食の時間はまさに鬼門でした。
給食の時間が終わりホームルーム、はては掃除の時間になっても嫌いなものが食べられず半べそかいている子が皆さんのクラスにも必ず一人はいませんでしたか? それ、まさに小学生時代の私です(苦笑)。
今は嫌いなものは残してもOKでそんなふうに子供を晒し者にするような光景は殆ど見られないと思いますが、私たちの時代はまだまだ根性論・精神論がまかり通っており、苦手な物でも簡単には許してくれませんでした。
それでも1~2年生の頃の担任の先生(女性)は、毎日泣いている私に根負けして最後には残させてくれました。残ったおかずの入ったバケツのような容器を一緒に給食室に返しに行く時、困惑したのか「田宮君は家ではどんなもの食べているの?」と聞いて来て、私が「お吸い物」と返事したのをよく覚えています(爆笑)。うちの母親など今でもこのエピソードを覚えていますが何故かお吸い物が大好きでした(笑)。
問題は3年生に上がる時で、クラス替え&担任が変わると聞いて、怖い先生が来て給食を残させてくれなかったらどうしよう?と子供心に思い悩み、マジで自殺しようかと考えていました。小学2年生で自殺志願って(苦笑)、でも本当にそれぐらい思い詰めていたのです。
中学生の頃この話を友達にすると「おまえはブルジョアか!?家で何食ってたんや?」と小学1~2年時の担任と同じ事を聞かれました。
肉も野菜も駄目で、確かに何を食べて生きていたのかと思いますが(笑)、でもはっきり言ってあの頃の給食のおかずなんて酷いもので、家での母親の手料理とは全然違いましたよ。例えばカレーにしても、上記アルバムの現在の給食と違いそもそもご飯は無いし、半煮えの肉とざく切りの玉ねぎがたっぷり入った、カレー汁のようなものでした。
後年、スープカレーがブームになりましたが、あれを見ると給食を思い出してしまい(昔の給食はもっと酷かったが)好きな人には失礼ですが未だに食べる気になりません(苦笑)。
とにかくこの玉ねぎが大嫌いでしたが、これがカレーだけでなく、八宝菜だろうが、シチューだろうが、焼きそばだろうが、馬鹿の一つ覚えで毎日入って来るのです。
作ってくれた人には大変申し訳ないのですが、こんな不味い物皆よく食えるな、と言うのが当時の私の率直な感想で、おかわりまでしている連中が信じられませんでした。
そうそう、ある日「若竹汁」が出て来てこれだけは珍しく玉ねぎなしで、前述のようにお吸い物が好きだった事もあり、6年間の給食のおかずで私が唯一食べられたメニューでした(笑)。
3年生になってからの担任は松浦高子先生(今でもフルネーム覚えている!)、愛媛県出身、教師になりたての新人先生で物凄いデブ(失礼!)だったので、皆「デカパン先生」と呼んでいましたが、なかなかおっかない先生でした。
給食の時間が終わっても嫌いな物を残させてくれるはずも無く、「一口だけでも食べなさい!」泣きながら吐き気をこらえ無理矢理口にしていましたが、この頃のトラウマで玉ねぎだけはこの年齢になった今でも苦手なままです(涙)。
玉ねぎそのものが駄目と言うわけではなく、みじん切りなら平気なのですが、ざく切り、輪切り、千切りなど大きな玉ねぎが生理的に受け付けません。私が牛丼やカツ丼を滅多に食べないのは玉ねぎをよけるのが面倒だからで、刑事ドラマで取り調べ室で犯人を落とすのにカツ丼を食わせるシーンがありますが、出来れば私は鰻丼でお願いしたいです(笑)。
杏ちゃむちゃんが毎月やっているバーのイベントで、以前はよく自家製料理を振舞ってくれましたが、ある時半切りの玉ねぎのミンチ和えが出て来て、思わずスルーしたら後々まで責められました。だから苦手だって言ってるじゃないの(笑)。
常連客それぞれ大なり小なり苦手な食材があるので、それを考えると作るものがないとこのサービスは廃止になってしまいましたが、決して私のせいではありません(笑)。

   
(次回に続く)