4月初めのアメリカ編をお届けしている間にあっ言う間に6月に突入してしまいましたが、その間もネタは盛り沢山でしたので、先ず今回は4月中盤から後半にかけての話題を一挙にお届けします。
題して「4月の行事」…以前は一ヶ月間を振り返る時、この「○月の行事」と言うタイトルをよく使っていましたが、記録を調べると何故か4月だけが未登場でしたので(3月は「決算月を振り返って」12月は「師走を振り返って」が有り)今回でようやく一年間を揃える事が出来ました(それがどーした!?と言われそうですが 笑)。
前述の通り4月一週目はアメリカでしたが、帰国した翌週の末からは出張で上京、前乗りした日曜日に行って来たのが、太田裕美さん、伊勢正三さん、元ガロの大野真澄さんのユニット「なごみーず」の「アコースティックナイト」と呼ばれるコンサートです。
場所は埼玉県の加須市、東京から割と近いと思っていたら裕美さんの実家の春日部を過ぎて、結局一時間以上はかかりました。因みにお恥ずかしながら私は加須(かぞ)と言う地名が最初読めませんでしたよ(苦笑)。
「なごみーず」は2004年の自然発生的な結成以来日本全国を回って、何とこの日が通算213回目の公演、私は嬉しい事に近年ソロ・コンサートに行く機会が多い為逆になごみーずのステージは2013年12月の大阪能勢町(これもとんでもなく遠かった!)
(FILE No.357参照)以来久々でした。
是非また大阪近辺のなるべく交通の便の良い所(笑)に来て欲しいものです。
翌日の夜は半年ぶりに内藤さんと会食させて頂きました。
場所はザ・キャピトルホテル東急にあるレストラン「ORIGAMI」…そう、昭和のプロレスファンなら誰でも知っている、ジャイアント馬場さんが生前愛用していたお店です。
東京にいる時の馬場さんはほぼ毎晩ここで食事をしていて、馬場さん専用の特注の椅子まであったそうです。
内藤さんは只今禁酒中、私も自分から呑む事がない人間と言う事もあり、野郎二人がソフトドリンクで(笑)思い出話に花を咲かせました。
19〜20日は東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾートで開催の「やる気と感動の祭典」(FILE No.119,136,155参照)に社員3人を連れて参加しました。
日本全国から集まったスーパーマーケット、メーカー、問屋など今回の参加総数何と1,020人、その中で各部門ごとの発表がありましたが、毎度の事ながらセミナー時間だけで二日間で合計13時間にも及ぶと言うハードな内容でくたびれました…。
たっぷりお勉強をして大阪に帰りましたが、実はこの週は23日土曜日にイベントの為に再度上京しました。
1981年4月23日…初代タイガーマスクが彗星の如く現れ衝撃的なデビューを果たした日ですが、この記念日に合わせてサイン&撮影会が開催されたからです。
イベントは2部構成で、第1部はUWF時代(84〜85年)のリングネームであるスーパー・タイガーとして、そして第2部ではお馴染みの初代タイガーマスク(81〜83年&現在も使用中)で登場すると言う、一粒で二度美味しい趣向でした。
私は初代タイガーとの記念撮影用にタイガーが獲得した二冠、WWFジュニアヘビー級&NWA世界ジュニアヘビー級のレプリカを用意しましたが、タイガーはマスク越しに柔和な目で「凄いモノ持って来たね〜。」と笑っていました(笑)。
NHK-BSプレミアムで毎週水曜夜に放送している「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」なるドキュメント番組でタイガーの特集をやると言う事で、この日はテレビカメラが会場に入っており、何と私もカメラを向けられてインタビューされてしまいました!
舞い上がっていたので何を聞かれてどんな事を喋ったのか殆んど覚えていませんが、BSとは言え全国ネットでベルトを2本抱えた私の醜態が流れるかと思うと赤面ものです(汗)。
散々煽っておいて無残にカットされるかもしれませんが(せめて10秒ぐらいは流して欲しい!)待望のオンエアは6月との事、皆さんお楽しみに!
翌24日は地元・大阪にて全日本プロレスのチャンピオンカーニバル優勝戦を観戦、この日はサムライテレビで生中継があり番組を観ていた四国銀行の有光支店長から「映ってますよ。」とLINEで連絡がありました。つまり私、二日連続でテレビに撮られたわけです(笑)。
白熱のリーグ戦は大日本プロレスから参加の関本大介選手が栄えある初優勝、インディ&大日本大好きの有光さんの喜ぶ顔が目に浮かびました(笑)。
(チャンピオンカーニバル熱戦の模様はこちらをクリック)
このブログが更新される時には既に終わっていますが、5月にあるIGF大阪大会に向けての決起集会なるイベントが28日に行われました。
会場は玉造にある、元々猪木さんの大阪選挙事務所だった場所で入場は無料と言う太っ腹ぶり、雨にも関わらず50人ほどのファンが集まりました。
肝心の参加選手は、崔領二選手、マグニチュード岸和田選手、アレクサンダー大塚選手の3人だけでしたが、ま、無料だから贅沢は言えません。
しかし猪木さんが来る事を期待して重たいNWFベルトをわざわざ持っていった私の立場は(苦笑)…家から近いからまだいいけど。
トークの時、岸和田選手が大の猪木信者だった事をカミングアウト、終了後に「猪木さんのどの試合が好きですか?」と話しかけると「とても一つは選べませんよ!」とファンに戻って熱く語って下さいました。
実はこの4月28日は実は私にとって大切な友の命日でした。
1991年ですからもう四半世紀も前になりますが、実家で飼っていた愛犬が亡くなった日だったのです。
ヨークシャー・テリアの雄で、確か我が家に来たのが1980年頃だったと思います。
名前を付けたのは私でロンと命名しました。
由来は「ウルトラマンレオ」第10話「かなしみのさすらい怪獣」に登場する怪獣の名前です(笑)。
ウルトラマンレオは故郷L77星で平和に暮らしていた頃、ロンと言う名のペットを飼っていました。
しかし故郷はマグマ星人の侵略によって破滅、レオは地球に亡命し、地球人のおおとりゲンの姿で生活していました。そこへ宇宙を放浪するうちに巨大な凶悪怪獣となってしまったたロンが現れ、レオと皮肉にも敵味方として再会するのです。
今観てもせつないストーリーですが、最後はレオがロンを元の姿に縮小し宇宙へ運んで行きます。そしてドラマのラスト、おおとりゲンは子犬を飼いロンと名付けるのでした…。
このシーンが強く印象に残っていたので名前を拝借したのですが、我が家のロンちゃんも怪獣ロンに負けず劣らずやんちゃでとにかくよく鳴きたおす犬でした。
私が社会人になって東京に引っ越してからは年に数回しか会えなくなってしまいましたが、帰省すると尻尾を振りながら駆け寄って来るのが嬉しかったものです。
91年の4月も終わりに差し掛かったある日、実家の母親から電話でもう寿命が近いと知らされました。仕事を休むわけにもいかないし、ゴールデンウイークは帰省する予定だったので私が帰る5月2日の夜まで何とかもって欲しいと祈っていましたが、結局間に合いませんでした。
4月28日、その日は日曜日で今はもう無い大宮スケートセンターに新日本プロレスを観戦に行ったのですが、帰って来たら留守電に母親の泣き声で訃報が入っていたのです…。
ショックでしたが、死に目を見るのはあまりに辛いのでこれでよかったのかもしれません。既に奈良の高田にあるペット霊園で埋葬はすんでいましたので、帰省してから改めて出かけて行きました。
早いものであれからもう25年、申し訳ない事にその間一度も行ってなかったので、今年は祝日の29日にお参りに行って来ました。
流石に25年も経つとどんな場所だったかも全く記憶にありませんでしたが、大好物だったパンやチーズ、お菓子をお供えして手を合わせて来ました。
あの頃は良いカメラも持ってなかったので、残念ながら写真もほんの少ししか手元になく、もっと沢山写真や映像を残しておけば良かったと後悔しています。
(在りし日の愛犬ロンの写真はこちらをクリック)
でもこんなに長い月日が流れても本当に今でも毎日思い出しますよ。自分の心の中では可愛くて元気なままで永遠に生き続けているんだと思います。 私があの世に行ったら一緒に遊べるのが本当に楽しみです(笑)。
最後はちょっとしんみりしてしまいましたが色々とあった4月、、次回は5月編に突入です。
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