(前回からの続き)
最後にRSK事務所を訪れて片付けをお手伝いした日の夜、例によって私は後楽園ホール通い(笑)、この日は力道山没50年追悼興行ですよ!
昭和38年12月15日に不慮の死を遂げた力道山先生、それから50年の月日が流れたこの日、力道山のお孫さんがプロレス・デビューしたのです!
力道山3世の本名は百田 力(ちから)さん、リングネームはそのものずばり「力」!
力選手は父親でこちらも現役プロレスラーの百田光雄選手とタッグを結成してこの日の第1試合に登場、見事に初陣を飾りました。
因みに父・百田光雄は一度も引退する事なく、65歳となった今もリングに上がり日本人プロレスラーとしての現役最高齢記録を更新中です。
それにしても百田親子の対戦相手である折原昌夫、NOSAWA論外の見事な仕事ぶりにも感動しました。
相手がデビュー戦の新人だけに持ち味を引き出す(業界用語でこれをセールと言うらしい)のも大変だったでしょうがベテランの試合巧者ぶりを存分に発揮してくれました。
一方、息子のタッグパートナーを務めた百田はこの日のメインの力道山メモリアルマッチにも出場、全身全霊のファイトで善戦したものの最後は父親の遺影が見守る前で玉砕しました。
因みにこの日の興行のタイトルは「プロレスの力」…いや〜、本当にプロレスっていいですねえ。よく私、「何でそんなにプロレスが好きなの?」って聞かれるのですが「面白いから。」としか答えようがありません。
プロレスをライブで観た事ない人は多いでしょうが(最近はテレビですら観た事ない人も多いかも…涙)不幸な事ですよ。
スポーツも含めあらゆるエンターテインメントの中でプロレスほど面白いものはありません。だから一度はまったら私のようにとことん中毒になってしまうのです(苦笑)。
敗戦国・日本にプロレスを輸入した力道山、その勇姿にどれだけ多くの国民が夢と勇気と感動を与えられたことでしょう…プロレスの力は本当に無限大です。
(力道山没50年追悼興行はこちらをクリック)
大阪に帰った私は休む間もなく今度は豊中市で行われたプロレスリング・ノアの大会に足を運びました。
平日の寒い夜、当初はノーマークだったこの日わざわざやって来た理由はただ一つ、ミスター・プロレス、美獣ことハーリー・レイスが立会人として実に9年ぶりに来日、シリーズに帯同する事になったからです。
当時世界最高峰と言われたNWA世界ヘビー級の王座、そのベルトをルー・テーズ(故人)の7度を抜いて実に8度(最高記録)も奪取したまさしくリビング・レジェンド、プロレスマニアにとってはポール・マッカートニーが来日するぐらいのインパクトですよ!
嬉しい事に試合前には記念撮影&サイン会があり、伝説の男に会えるのは本当にこれが最後のチャンスかもしれません。
会場に到着したのはいいですが、入り口がよくわからなくて会場の周りをぐるっと一周してしまい裏口にあった喫煙所を見て一瞬目を疑いました。
お目当てのハーリー・レイスがいるじゃないですか!
リビング・レジェンドが椅子に座って一服やってる姿に一瞬拍子抜け、チャンスなので写真でも撮らせて頂こうかと思ったのですが、奥さんや関係者が一緒だったので遠慮しました。
で、改めて開場後に撮影&サイン会に参加、サインに名前まで入れて頂き感激しました。
レイスは30年もプロレスラーを続け、そのキャリアの大部分を世界王者として過ごしました。
昭和のプロレスファンは全米中のマーケットはおろか時には海外でも防衛戦を行うNWA世界ヘビー級チャンピオンこそ世界最高峰と自然にすり込まれたものです。
過酷な防衛戦ロードの代償として肉体はぼろぼろなのでしょう、杖をついて歩く姿には正直胸が痛みましたが、どうか元気でまた来日して欲しいものです。
(ハーリー・レイスも登場! ノア豊中大会はこちらをクリック)
21日はまたもや東京、今月は大阪−東京を何度往復しているやら(苦笑)、この日はゆずポンの2013年ファイナルイベントです。
会場となったのは新宿歌舞伎町にあるプロレス&スポーツ・バー、その名も「ドロップキック」、狭い店内に36人も集まった為、店内はぎゅうぎゅう詰めで動くのも大変、かなり暑かったです。
引退後も根強いゆずポン人気、次回はもう少し大きいハコでやって下さい!
クリスマスイベントという事でサンタ姿で登場したゆずポン、可愛かったですよ〜!(2013最後のゆずポンスマイルはこちらをクリック)
翌22日は大阪に帰る前に千葉へ立ち寄りました。
先月(FILE No.354参照)に続いてTAKA&タイチ興行Part3を観戦する為です。まさか二ヶ月連続で観る事になるとは思いませんでした、こんな事なら先月の会場で前売り買っときゃ良かった…。というわけで今回もTAKA選手に直接メールして予約しました。
会場はKAIENTAIDOJOの本拠地、その名もBlueField、その名の通りの青色で遠くからでもひと目でわかりました。
試合は新日本プロレス勢が大挙出場、バトルロイヤルには飯塚高史まで登場のハプニングありで大盛り上がりでした。
(TAKA&タイチ興行はこちらをクリック)
クリスマスイブの前日、天皇誕生日の23日は大阪で年内最後の太田裕美さんのコンサートに行って来ました。
この日は伊勢正三、大野真澄(元ガロ)とのユニット、「なごみーず」のライブで場所は大阪府は豊能郡にある能勢町、地図で見ると大阪の最北端!
梅田から阪急電鉄に乗って川西能勢で能勢電鉄に乗り換え、やっと駅に着いたと思ったらバスが1時間に1本しかない!
やむなく駅前に唯一あったパン屋&カフェでパンをかじり珈琲を飲みながら時間を潰しました。
大阪なので比較的近いだろうと安心していたら結局、家を出てから3時間かかりましたよ、これじゃあ東京へ行くのと変わらない(苦笑)。
遠路はるばる山々に囲まれたこの日の会場にようやく到着、浄るりシアターと言う、文字通り人形浄瑠璃用の会場で、ここ能勢町では200年に渡って浄瑠璃が受け継がれているそうです。
どうせなら人形に因んで裕美さんに「ドール」(1978年発売)を歌って欲しかったですね! 私はこの曲から裕美さんのファンになったもので(当時、中学一年生!)思い入れが深いのです。
この日も素晴らしいステージでしたが流石に不死身の私も三日連続の長時間移動で疲れが出て、暖房の効いた会場で座っていると裕美さんの曲が子守唄がわりとなって心地良く途中睡魔に襲われやばかったです(苦笑)。
なお、帰りは会場前から臨時バスが出てくれたおかげで行きよりは早く帰れました。
帰りの阪急電車で某同業の社長とばったり遭遇、わざわざ能勢まで裕美さんのライブに行って来たと話すと流石同年代、羨ましがられ(半分呆れられ?)ました(笑)。
いよいよ年末も押し迫った26日は毎年恒例となった某コップ屋さんとのささやかな忘年会です。
場所は例によって京橋、「りょう馬」さんという馬肉料理のお店でした。
馬刺し、今や牛肉では食べられなくなったユッケ、そしてメインは珍しいモツ鍋風の白鍋とフルコースを堪能しながら2014年(そう言えば馬年だ)もお先真っ暗の我が業界を嘆いておりました(苦笑)。
そう言えば前年末も馬肉を食しながら、「次回は鹿にチャレンジして馬鹿を完成させよう!」と誓った(FILE No.306「バカ料理!?」)のに残念ながら夢は実現していません。
なかなか手軽に食べさせてくれるお店が見つからないのですが、2013年にはワニ料理を頂く事に成功しましたので(FILE No.326参照)、今年こそは何としても鹿、そして究極の夢であるカンガルー料理を制覇したいものです。
必ず実現するようにこの目標も手帳に記入しておきましょう!
美味しくてついつい食べ過ぎ&飲み過ぎ、翌日体重計に乗って焦りました。
ちょうどその日がジムにトレーニングに行く日でしたので、トレーナーの高野さんに「夕べ忘年会で京橋で馬肉を食べました。」と正直にカミングアウトしたところ、「ひょっとしてりょう馬ですか? 僕もよく行くんですよ。」と言われてびっくり! やばい、このお店行くの控えよう(苦笑)。
さて12月のネタはこれで終わりかと思いきや、2013年掉尾を飾るビッグイベントを忘れてはいけません。
大晦日は昨年同様(FILE No.307参照)、両国国技館で「INOKI BOM-BA-YE 2013」です。
会場はほぼ満員の盛況、昔は考えられなかった大晦日のビッグイベント開催ですが、完全に定着したようです。
会場では山北麻文くんに会いました。
29日に都内で過激な仕掛け人(FILE No.315参照)新間 寿氏のトークイベントがあったので二日前から東京に来ていたそうで…あんたも好きねえ、あっ、私も人の事言えませんが(笑)。
そう言えば2000年の大晦日、一番最初の大晦日の猪木祭り(大阪ドーム)も彼と一緒に行ったんだっけ。あの時は本当に年越しまで会場にいて21世紀を迎えたものです。
3時開始の試合は6時半に終了、両国駅に近い蕎麦屋で山北くんと年越し蕎麦を食べてから新幹線に乗り、前年より30分早い11時過ぎに帰宅、今年も除夜の鐘に間に合いました…。
師走の言葉に相応しく?動きっぱなしの12月でしたが、今年も健康にはくれぐれも注意の上、充実した年にするつもりですので、皆様宜しくお願いします。
最後にダメ押しのおまけは新日本プロレス特製クリスマスケーキ!
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