まだまだ寒い日が続く2月ですが、今回は1月の総集編です。
まずは9日、名古屋にて開催の「青春のグラフティコンサート2017」に行って来ました。この日は「成人の日」、あいにくどんよりとした曇り空でしたが街を歩くと綺麗な振袖姿の女性を多数目撃しました。
日本全国で行われる式典で毎年必ず何処かで舞台に上がったり酒飲んで暴れる馬鹿がいますが今年も期待通り?何人かいましたね(笑)。何故か毎年沖縄が多いようですが、本当こういう奴らってお灸を据える為と再発防止の為の見せしめに5年ぐらい刑務所にぶち込んで欲しいものですよ。20歳の記念日に留置されて出所したら25歳、さぞかし人生の貴重な時間を無駄にしたと悔やむ事でしょう。分別つく年齢になって親を泣かせんじゃねえ!
…そんな事を思いながら近鉄電車に揺られて名古屋に到着、JRに乗り換えて笠寺駅で降りると目前に本日の会場である日本ガイシホールが現れました。
私がここを訪れるのはまだ名古屋レインボーホールという名称だった2007年9月8日のIGF以来実に約10年ぶりです。
私のお目当てのなごみーず以外にも海援隊、南こうせつ、ゴスペラーズ、高木麻早が参加したこの日のコンサート、裕美さんにとっては今年の歌い始めでしたが、メンバー多数とあって3時から始まり終演は6時半(途中休憩あり)と少し長めでした。以前から生で聴きたかった海援隊(懐かしや金八先生!)も聴けて良かったです。
成人の日のお次はこれまた縁起の良い13日の金曜日(笑)、新日本プロレスの大阪大会に行って来ました。
今年初のプロレス観戦ですが、この日は通常の大会ではなくメキシコのCMLLとの提携により年一回開催しているミニシリーズ(ファンタスティカマニア)で、これまでは正直関心が薄かったのですが、昨年メキシコにて本場のルチャ・リブレを体感 (FILE No.497〜499参照)以来今更ながらルチャの魅力にはまり初めてやって来たのです。
会場である大阪府立体育会館の第2競技場は小さなキャパにつき立錐の余地もない超満員、本場メキシコにも負けないぐらいの熱気でルーシュ、ウルティモ・ゲレーロなど私が現地で見たルチャドールが多数出場していました。
(ファンタスティカマニア大阪大会はこちらをクリック)
翌14日は今年初の東京行き、浅草のフランス座演芸場・東洋館でのトークイベントに行って来ました。
かつてはストリップ劇場だったこの小屋で若き日のビートたけしさんがエレベーターボーイをしていたのは有名な話です。
1981年に空前の漫才ブームが起こった頃ツービートの毒ガス漫才が大好きだった私はたけしさんの自伝「たけし!オレの毒ガス半世紀」を購読、フランス座時代のエピソードも読んでいましたのでエレベーターに乗る時は感慨深かったです。
さて、この場所でイベントを行う今宵の主役はこれまたレジェンドのお二人、「炎の飛龍」藤波辰爾選手&「稲妻戦士」木村健悟さんの登場です!
かつてニューリーダーズとして黄金時代の新日本プロレスの主役を務めた二人、前回までお届けした(FILE No.507〜509参照)選手大量離脱により窮地に陥った時もこの二人が率先して皆を引っ張りました。
UWFが帰って来た時は前田日明の挑戦を避け続ける?猪木さんに代わってキックの速射砲を浴びながらも最前線で戦いました。
ある時は新日本の牙城を守る為タッグを結成、またある時はライバルとして向かい合った二人、あれから30年の月日が流れ藤波選手は殿堂入りを果たしデビュー45年を超えて今も現役、そして健悟さんは今や品川区議会議員ですよ!
レジェンド・コンビが一夜限り復活したこの1月14日は二人がリングで対立し抗争を展開していた時、決着をつけるべくこの一試合の為だけに後楽園ホールを借りて行った伝説のワンマッチ興行(87年)の30周年記念日でした。
当然トークのメインはこの試合の振り返りでしたが、藤波選手は開口一番「30年も経ったら覚えていない。」、司会役のユリオカ超特Qさんから「いきなりそれを言っちゃあ身も蓋もない」とつっこまれておりました(笑)。
一方健悟さんは流石区議会議員、歌も上手いがお話も上手、「一番強かった相手はローラン・ボック」、「飛んだり跳ねたりのメキシコのルチャ・リブレは自分の理想のプロレスとは違う」、「対抗戦で一度だけ戦ったジャンボ鶴田はぬかに釘を打ったような相手だった」など、ファンからの様々な変化球の質問にも明快なお答え、そんな健悟さんに私も以前からどうしてもお聞きしたかった掟破りのケーフェイ質問?を敢行しました。
猪木さんがホーガンのアックスボンバーにKOされ長い舌を出して救急車に運ばれた有名な「猪木舌出し失神事件」(FILE No.276,277 参照)について未だ根強い「猪木一人芝居説」ですが、その根拠とされるのが「脳震盪を起こして失神した場合医舌が外に出る事はない」という説です。
実際新間さんは搬送先の病院の看護師から「私たちは看護のプロ、医学的に舌を出して失神などあり得ない」と言われたそうですが、私はいくつかの文献でセコンドにいた坂口征二、あるいは木村健悟が猪木の舌を引っ張り出したという記述を目にしていたので、現場にいた健悟さんにずばりその事を問うてみたのです。
健悟さんは「ハイ、確かに頭を打った時は舌が喉の方に丸まって窒息する可能性があるので、僕が猪木さんの舌を引っ張り出して指で押さえていました。」ときっぱり明言!
議員さんが嘘をつくはずないので、やはりあの失神は本物だったとの確信を持ちました。
(これが嘘だったら今度は私が「人間不信」と書き置きを残して旅に出ます 笑)。
5年前、藤波選手のデビュー40周年記念興行(FILE No.273 参照)には試合に出場した長州力、初代タイガーマスク選手に加え猪木さんや前田さんもゲストとして来場しリング上で豪華な記念撮影が行われましたが、藤波さん曰く「誰かが欠けていると思ったら健ちゃんを呼ぶのを忘れていた」と5年ぶりに平謝り(笑)、今年予定されている45周年ではいの一番でのご招待を約束していました(笑)。
待望のスリーショット撮影ではお二人がジュニア時代に賭けて戦ったベルトの一つであるWWFジュニア王座のレプリカを持って撮らせて頂きましたが、二度と実現しないと思われたこのイベント、あらら3月に今度は大阪で開催が決定(苦笑)、しかしもっと仰天したのは後日、木村健悟さんご本人からfacebookの友達申請が届いた事です!
ご丁寧に先日のお礼と「マフラーお似合いです。今度大阪で飲みに行きましょう。」のメッセージが添えられていて、天下の区議会議員さんからのお言葉に恐縮しきり(涙)、ほんと健悟さんは素晴らしい人です! 品川区民よ、健悟さんをこれからも応援よろしくお願いします。稲妻!!
ポール星人による第三期氷河期か(ウルトラセブン25話「零下140度の対決」)、はたまたペギラの上陸による「東京氷河期」か(ウルトラQ14話)、極寒の大寒波襲来の今回の東京、翌15日は東京国際フォーラムで行われたイルカさんのデビュー45周年
「青春のなごり雪コンサート」に行って来ました。
ゲストは裕美さんの他に伊勢正三、小椋佳、小田和正、松山千春、南こうせつと豪華メンバーが集結、このメンバーなら国際フォーラムでもキャパ的には狭く早々とチケットは完売、会場前にはダフ屋も出ていました。
当初私は足を運ぶ予定はなかったのですが、前述の藤波&健悟イベントで急遽上京した為行く事に、しかし困った事にその時は既にチケットが取れず、やむなく禁断の?ネット・オークションに手を染めて何とか落札、定価の三倍近い価格になってしまいましたよ、とほほ…。
4時から始まって8時までのロング公演でケツが痛かったですが、一週間に二度も裕美さんの歌が聴けて幸せ♪…エンディングはこの日に相応しくイルカさんが独りで歌う名曲「なごり雪」でした。
22日はまたもプロレス、大阪にて開催の史上初の試み、大仁田厚、長与千種、船木誠勝、田中将斗、TARUの5選手によるロイヤルランブル形式での電流爆破デスマッチを観戦しました。ロイヤルランブルとはWWEが考案した試合形式で、1対1のシングル戦から始まって1分ごとに次の選手が参戦して来る変則バトルロイヤルです。
これと電流爆破を組み合わせるアイディアは秀逸ですが最近の電流爆破はロープ四面ではなく爆破バットのみの形式が主流なので、90年代からすっかり電流爆破中毒の私にはいささか物足りないのが正直なところ、しかも今回は被爆したら即失格のルールが採用されて大仁田選手が一回も被爆せずに終わりましたよ、珍しい…。
試合後の撮影会では大仁田選手に本物のアジアタッグ選手権のベルトを持たせてもらえましたが、このタイトルは60年以上の歴史を持ち、かつては力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木も手にした日本最古のタイトルで、古めかしいベルトを間近で見て歴史をひしひしと感じました。
同期・渕正信選手とのコンビで昨年11月の全日本両国大会 (FILE No.501 参照)で実に第100代王者となった大仁田選手ですが、まさかこのベルトを「邪道」が奪取するとは予想出来ず個人的にはあの日一番インパクトがありました。
大仁田選手いわく「いつまで持ってるかわからねえから貴重だぞ、なんせ相棒の渕が心臓病だからな。」と悪い冗談(笑)どうせなら出来る限り長く防衛して欲しいものです。
(電流爆破ロイヤルランブルの模様はこちらをクリック)
プロレスと太田裕美以外のネタはないのかと実家の親からもダメだしされている当ブログ、1月の振り返りも期待通りでした(笑)。
2月はなるべく他のネタも取り入れるよう鋭意努力中? ←ほんとかよ!
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訃報 |
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締め切り後に、「小さな巨人」「カリフォルニアの太陽」のニックネームで活躍した チャボ・ゲレロ選手死去のニュースが飛び込んで来て愕然としました。
昨年8月、11月の来日し元気な姿でリングに上がっていただけに今でも信じられない思いです。
日本で良きライバルであった藤波辰巳、木村健悟、大仁田厚選手登場の回に訃報をお伝えする事になるとは因縁めいていますが、チャボと言えば有名なのはトロフィーで大仁田を滅多打ちにして大流血させた事件、11月のツーショット撮影ではわざわざトロフィーを持参して再現させて頂きました。
運搬が大変なので次回来日時にはもっと小さいトロフィーを用意しようと思っていましたが、それも叶わぬ夢となりました…。
チャボ・ゲレロさんのご冥福を心よりお祈りします、合掌…。 |
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