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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.781 2022.5.7  

「 プロレス週刊誌(3) 」

(前回からの続き)

インターネットの無かった時代、情報に飢えた我々マニアはプロレス週刊誌の発売日を首を長くして待ち、発売日前日に買える場所があると我先にと駆けつけていました。
わけても一番気になるのが自分が観に行けなかった試合の速報で、SNSでリアルタイムで結果が伝わる便利な現在と違い翌日の新聞(プロレスを扱う東京スポーツ、日刊スポーツなど)を待つしかなく、どうしても待ちきれない時にはよく東スポの編集部に電話でお聞きしていました。
いつも親切に対応して頂けましたが、83年6月2日、アントニオ猪木VSハルク・ホーガンのIWGP優勝戦(FILE No.276,277「猪木舌出し失神事件」参照)の時、「猪木のKO負けです」と言われ目の前が真っ暗になり、その場にへなへなと座り込んだのが忘れられません。
1秒でも早く試合結果を知りたいファンのニーズに応えるべく、90年代最盛期の週プロ&週ゴンはテレフォンサービスなるものを導入しました。
大きな試合があった日の夜などは編集部にひっきりなしに電話がかかって来て仕事にならなかった為の対策でもあったのでしょう、「本日の全日本プロレス、後楽園大会の結果速報です。」と記者が喋った録音テープが流れる専用ダイヤルを設置し、私もよく利用させて貰いましたが、同じ時間に回線がパンクしそうな程電話が集中するのでこれがなかなか繋がらない(苦笑)、やはりこの時期導入されたチケットぴあ等の電話予約と同じで繋がるまで20分、30分と辛抱強く延々とリダイヤルを続けたものです。

週プロ編集長として一時代を築いたターザン山本氏はファンの間である種の教祖様的な存在になっていましたが、その独断と偏見に満ちた?編集方針は常に賛否両論でプロレス団体側とのトラブルも絶えませんでした。
メガネスーパーが旗揚げした新団体SWSを「金権プロレス」とバッシングした事(FILE No.706708「黒船来航」参照)に端を発し取材拒否を食らったものの ファンの支持を得られなかった団体の方が逆に崩壊に追い込まれ、95年には遂に東京ドームで「夢のオールスター戦」まで主催(FILE No.776「夢の懸け橋」参照)と、とてつもなく巨大な存在となった週プロ&ターザン氏のファンへの影響力を団体側が必要以上に警戒するようなムードが生まれました。
プロレスラー&プロレス団体がプロレス業界のマスコミに対して「俺たちが飯を食わせてやっているのに我々の都合の悪い事を書くとは何事だ。」的な大名感覚があるのは昔も今も変わらず、96年、遂に新日本プロレスが取材拒否を発令、何度となく取材拒否を乗り越えてきた週プロも業界最大手の新日本が相手ではまともな喧嘩にならず、新日本の記事が一切載せられなくなった事で部数は激減、責任をとってターザン山本氏は自ら辞職しました。
取材拒否解除後、新日本の記事も復活しましたが、その誌面は毒気が抜けて週プロらしさが無くなり、活字プロレスは事実上終焉、王道・正統派路線の週ゴンと破天荒な週プロ、対照的な2冊の競い合いを楽しんでいた者としては残念でした。

ここで週刊ファイトにも少し触れておきましょう。

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 裏ネタが信条、
「週刊ファイト」は
猪木新聞と呼ばれた。

週プロ&週ゴンと違い、こちらはあくまでもタブロイド判の新聞形式で、それも辺境の地(笑)?大阪で発行(新大阪新聞社)されていたとあって、記事は試合報道よりも裏ネタが中心、しかも初代編集長・井上義啓氏(故人)のアントニオ猪木に対する傾倒ぶりから一時は「猪木新聞」とまで揶揄され、一部全日本ファンから不買運動を起こされた(笑)?ほどのアントニオ猪木と新日本中心の編集方針を貫き、他誌とは一線を画していました。
私が週刊3誌(紙)を読む順番は元々ゴング派だった事もあって、ずっと週ゴン→週プロ→ファイトでしたが、90年代後半〜2000年代になると、週プロも大人しくなってしまったし、私自身のプロレス熱も峠を越え、その反面マニア度だけはより上がっていった事もあり、いつしか裏ネタが一番楽しみになりファイトから先に読むようになりました。(ああ、かつての純粋なプロレス少年のなれの果て!苦笑)。
私が知る限り、東京時代ファイトだけは発売日前日に入手出来る場所がなかなか無かったのですが、発行が大阪とあって逆に関西に戻ってから思わぬチャンスに恵まれました。
通販による定期購読(10〜20週分をまとめて先払いが条件)の広告に「送料無料で毎週火曜日に発送」とあり、それなら水曜日に届く(当時は奈良県生駒市の実家に在住)ので、早速申し込みました。
おかげで無事発売日前日に読めるようになったのですが、ごく稀に先方の発送が遅れたのか、それとも郵便事情か、うまく水曜日に届かなかった事があって、そんな時は木曜日に駅で本日発売の「ファイト」を見つけて「買いたい!」「読みたい!」と激しい衝動に駆られながらも、帰宅すれば届いているから必死に我慢したものです(苦笑)。
結局、この通販による定期購読は廃刊になる2006年までずっと継続しました。

(次回へ続く)
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