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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.791 2022.7.16  

「 戦友(2) 」

うだるように暑い真夏、スローペースのこのブログはまだ4月のネタです(苦笑)。
9日は天龍プロジェクト恒例のトークイベントに行って来ました。
長引くコロナ渦の影響でずっと映像配信形式だったものの、今年になってようやく従来の有観客イベントが復活、2月のゲスト前田日明さんに続き今回も凄い!なんと!谷津嘉章さん(FILE No.670「幻の金メダリスト」参照)が登場しました!!
天龍プロのイベントではいつも次回開催日とゲストが発表されますが、2月に谷津さんの名前が告げられた時には会場からどよめきが起こりました。
一部には「谷津?」と失笑もありましたがこういう奴らは歴史を知らないニワカ(笑)、SWS(FILE No.706708「黒船来航」参照)をリアルタイムで観て来た者にとって天龍と谷津の対談が実現するなど信じられない事なのです。

メガネスーパーの大資本をバックに鳴り物入りで旗揚げしたものの僅か2年で撤退の憂き目にあった悲劇の団体SWS、その大きな原因となったのが天龍派と反天龍派に分かれた選手間の根深い派閥争いで、反天龍派の急先鋒となったのが谷津さんでした。
反乱分子によるクーデターが表面化しシリーズ開催も危ぶまれる中、心配になって多くのファンが駆けつけた後楽園ホール大会(92年5月20日)、責任をとって引退を宣言した谷津さんの引退試合は今思い出しても切なかったです(涙)。
「おまえこそ騒動の元凶」とばかりに最初から最後まで野次とブーイングの嵐の中で試合は強行されましたが、終了後谷津さんが惜別の意味で客席にジャージを投げると逆に投げ返される始末でした(苦笑)。

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 天龍のメッセージに耳を
傾ける30年前の筆者

メインの天龍さんの試合が終わってもSWSの今後を心配して客は帰らず、一旦控室に引き上げた天龍さんが再び姿を見せ地声でメッセージ、じっと聞き入る客席には仕事帰りでスーツにネクタイの若き日の私の姿も映っています(笑)。
結局もはや収拾つかずとこの翌月にSWSは解散、天龍さんと谷津さんは袂を分かちそれぞれ苦難の道を歩む事になりますがあれから30年、絶対あり得ないと思われた再会が実現する事となりました。
取材でイベント実現の経緯を問われた天龍さんはこんなふうに答えていました。「谷津とはSWS解散以来それっきり、ニュースを見たり近況が聞こえて来ても家にいる蝿ぐらい気にしていなかったし、二度と会う事は無いだろうと思っていた。
それが昨年の馬場さんの追悼興行(FILE No.724「王者の魂」参照)の時、杖をついた俺に義足になった谷津が気さくに話しかけて来たんだ。お互い身体が不自由になって相手を思いやる気持ちが出て来たんじゃないかな(笑)。彼が何のわだかまりも持っていない事が30年かかってようやくわかったよ。それなら昔の話をしてみたいとイベントのオファーをしたんだ(後略)。」
確かに、近年著書やインタビューを拝読したり、イベントで話をお聞きして谷津さん自身は特にこだわりを持っていないと感じていました。
かつては長州力、あるいはジャンボ鶴田のパートナーと常にNO.2のポジションに就いたように性格的に「俺が俺が」とエースになりたがるタイプでは無いので、今思えばSWSでも反乱分子のメンバーに祭り上げられ板挟みになった(谷津さんは選手会長だった)部分も多少あったのかなと思います。
…と綺麗事で済ますのは簡単ですが、当時の記事に目を通すと辛辣な天龍体制批判もやっているので谷津さん自身全く不満が無かったと言えば嘘になるでしょう。
まあ、皆若かったしお二人ともスポーツマン、全てノーサイドです。

8日は恒例の杏ちゃむちゃんの六本木イベント、9日のお昼は東京女子・後楽園大会で赤井沙希&荒井優希のドリームタッグが急遽実現、幸いにもこの試合がセミファイナルだったのでトークイベントに余裕で間に合いました。
肝心のトークの中身は二人がそれぞれ全日本、ジャパンの所属として戦っていた頃のエピソードに時間が割かれ、SWSについては軽く触れる程度でいささか拍子抜けしましたが、SWSについては様々な文献で検証されていますし、今になってあの時はどうだった、こうだったとかあまりドロドロした話、間違って口論にでもなったらそれこそドン引き(苦笑)なので、これで良かったと思います。

イベント後半にはサプライズとしてSWSタッグ選手権のチャンピオンベルトが30年ぶりに公の場に登場しました。メガネスーパーの創始者である田中八郎さんのご遺族の元で保管されていたもので、年月は過ぎても実際使用された期間が数ヶ月しか無かった事もあって当時のまま金色ピカピカ、古さを感じさせませんでした。

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 あれから30年、二人は戦友に…

このベルトと言うと谷津さんとキング・ハクのナチュラル・パワーズのイメージが強く(二度戴冠)意外にもエース天龍さんは一度も腰に巻いていません。
スリーショット撮影時にはお二人がベルトを持って下さり皆さん大喜びでしたが、前述のように実際このコンビでは王者にはなっていません。それどころかこのお二人は全日本時代から常に対角線のコーナーに立って向かい合い、一度も組んだ事がないのです。
もしあのままSWSがずっと続いていたらいつの日かタッグを結成、王者になっていたのでは…そんな事を夢想してしまいました。
イベントのラストで足の悪い天龍さんが椅子から立ち上がる時、谷津さんが手伝う姿に胸を打たれました。30年の時を経て二人は真の戦友となったのです…。

翌10日は谷津さんと因縁の深い栃木(足利工大付属高校出身)に移動、小山にてマーベラスの試合を観戦しました。

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 栃木・小山市文化センター

この日の杏ちゃむちゃんは黄色軍団としてタッグリーグ公式戦に挑むも彩羽匠のジャンピングパワーボムの前に完敗、頭部を打ったのでヒヤリとしました(汗)。
4月8〜10日 ツーショット集 こちらをクリック

次回も4月ネタ、棚卸一層処分(笑)をお届けします。

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