FILE No.837 「BIを倒した男たち(1)」
「BIを倒した男たち(1)」
少し前の話ですが、お取引先の方と飲みに行って帰宅、ふとスマホを覗いたらフェイスブックで繋がっている友人がプロレスクイズを出題していました。
「ジャイアント馬場とアントニオ猪木の両巨頭からフォール、またはギブアップを奪った選手を5人挙げよ。」
但し新日本&全日本プロレスの旗揚げ以降に限定し3本勝負の1、2本目も含むとの注釈付き、こういうクイズは脳みその体操に最適で、マニア心に火が付いてまだ酔いの残った状態で早速チャレンジしました。
BIを倒した男と言えば真っ先に思い浮かぶのが日本人でただ一人この大偉業を成し遂げたのが“ミスタープロレス”(File No. 325,428,450 参照)天龍源一郎です。
天龍は89年の世界最強タッグ決定リーグ戦(馬場&木村 VS 天龍&ハンセン)でパワーボムで日本人として初めて馬場から3カウントのフォールを奪いました(11月29日 札幌)。勝った天龍は同じ日に東京ドームで行われていたUWF(第2次)のビッグマッチを意識して「この1勝は東京ドームより重い」の名言を残したものでしたが、さらにその約4年後、今度は猪木とのシングル戦を実現させ(94年1月4日 東京ドーム)やはりパワーボムで勝利、日本で唯一BIの二人から完全勝利の大仕事をやってのけたのです。
昨年、猪木さんより一日早く旅立たれた三遊亭円楽師匠が天龍さんと中学時代の同級生だったのは有名ですが、猪木戦直後の「笑点」の大喜利のコーナーで(当時は三遊亭楽太郎)「日本人として初めてジャイアント馬場とアントニオ猪木に勝った天龍源一郎は僕の親友です!」と自己紹介されたのを覚えています。
BIの二人を倒した選手、外国人で最初に連想したのが新日本と全日本の両団体に上がったトップスターのスタン・ハンセンとタイガー・ジェット・シンでした。
・・・ん? 酔った頭ではっとする私、猪木を倒してNWFヘビー級王座を、そして馬場からはPWFヘビー級王座を奪取、ナンバーワン外国人の座についたハンセンですが意外や意外、馬場はともかく猪木からは一度もフォール、あるいはギブアップ勝ちをしていないのです。前述のハンセンがNWF王者となった試合はエプロンに立った猪木にウエスタン・ラリアットを見舞ってのリングアウト勝ちでした(80年2月8日 東京体育館)。
後日、友人の協力を得て調べたところハンセンの馬場からのフォール勝ちは計5回で、2度に渡るPWFの奪取(83年9月8日 千葉)&(85年7月30日 福岡)以外では82年9月9日、茨城県水戸での馬場&テリー&天龍 VS ハンセン&クラッシャー・ブラックウェル&ロン・バス、84年7月7日後楽園での馬場&天龍 VS ハンセン&スミルノフ、同年12月11日大阪(観に行ったぞ!)での馬場&石川 VS ハンセン&ブロディが該当、因みに計5回のフィニッシュはいずれもウエスタン・ラリアットでした。
PWF転落後の馬場は徐々にメインから退き、ハンセンの相手も鶴田、天龍、長州、さらには四天王(三沢、川田、小橋、田上)へとシフト、2人が戦う事自体がレアになったので以降のフォール決着は無いはずですが、お気付きの方はご連絡ください(笑)。
それにしてもハンセンが猪木から一度もフォール勝ちしていないのは実に意外…危ない危ない、もう少しで引っかかるところでした(汗)。
ではもう一方の雄、タイガー・ジェット・シンはどうでしょう?
何しろ猪木とシンの血の抗争は8年もの長きに及びましたので、今回ブログを書くにあたり猪木全試合記録集をチェックしたところ、なんと記念すべき初来日第一戦がいきなり猪木とのシングル戦(73年5月25日 岐阜)で1本目にフォール勝ちしていました(9分2秒体固め)。
次がその2年後、ちょうど私がプロレスを観始めた75年、3月7日横浜の猪木&星野勘太郎 VS シン&マイティ・ズールの3本目で4分16秒体固め、この試合はテレビ生中継で観ていましたが、2本目で星野が血だるまの戦闘不能状態となり3本目は猪木が孤立した末の惨敗、翌週の広島で猪木とシンのNWF王座決定戦が組まれていたので、猪木がそこでのリベンジを誓ってのエンディングとなりました。そして翌週13日の広島決戦、子供心に今日こそ猪木が悪の権化シンを成敗してくれると信じてテレビの前に陣取った私の願いを打ち砕くように猪木はブレーンバスターの前に完敗(19分24秒 体固め)!!
つまり猪木は二週連続、テレビ生中継でシンにフォール負けしたのです。
この後5月19日、敵地カナダでのリターンマッチは1本目が猪木の逆さ押さえ込み、2本目はシンが体固め(5分11秒)、3本目は猪木が反則勝ちもタイトルは移動せず、最後の決着戦となった6月26日の蔵前では1本目を猪木が回転足折り固めで先制も2本目はシンがアルゼンチンバックブリーカーを公開し、なんと猪木がギブアップ(2分47秒)!!何しろ猪木のギブアップ負けは非常にレアでインパクトがありました。
決勝の3本目はバックドロップ連発で猪木がようやくタイトルを奪回しましたが、シンはこの年だけで4回も猪木からフォール&ギブアップを奪ったのです。
この後、79年3月8日茨城・水戸での猪木&藤波VSシン&上田で必殺技コブラクロー(毒蛇絞め)で猪木から4年ぶりフォール勝ち(6分49秒)、4月13日には舞台をメキシコに移し当時保持していたUWA世界王座戦で猪木の挑戦を受け、1本目に首四の字固めで猪木からギブアップ勝ち(12分33秒)(*2本目は猪木の卍、3本目は反則勝ちで猪木が王座奪取!)、翌80年7月25日の岡山・倉敷での猪木&長州 VS シン&アレンで3本目、わずか32秒体固めでシンが猪木から決勝フォールの記録が残っていますが、水戸と倉敷はテレビ生中継があったにも関わらず私の記憶から抜け落ちており、
どんな展開からシンが勝ったのかが気になります。
結局、シンが猪木にフォール&ギブアップで勝ったのは通算でなんと8回(しかもギブアップが2回)、全盛期で常勝エースだった猪木を相手にこの数字は立派の一語に尽きますが、対照的にハンセンが一度も猪木をフォール出来なかったのは、日本のプロレス界が1本勝負が主流になって来た事が大きな要因だと気が付きました。実際、猪木との試合は
シングル、タッグとも3本勝負が多かったシンに対し、ハンセンと猪木のシングル戦は全て1本勝負で行われています。そもそも3本勝負が似合わない猪突猛進でスピーディにガンガン攻めるスタイルを日本に持ち込んだのはハンセン自身ですが、結局1フォールすら奪えなかったものの、全盛期の猪木を最も追い込みダメージを与えたのがハンセンである事に異論はありません。
さて、猪木に8回も勝ったシンですが、全日本に転じての馬場との試合は…。
(次回へ続く)
【 訃報 】
鋼鉄怪人”アイアン・シークことコシロ・バジリさんがお亡くなりになりました(享年81歳)。
バックランドの長期政権に終止符を打つも一ヶ月後にホーガンにWWFヘビー級王座を明け渡したワンポイントリリーフぶりは、先代から現在のビンス・マクマホンのWWE時代への貴重な橋渡しを担った事で歴史に名を残しています。4年前アメリカでお会いした時は車椅子を使用されていたものの、それ以外はすこぶるお元気そうだっただけに無念です(涙)。
謹んでご冥福をお祈り致します。