FILE No.840 「勤続30年(1)」

「勤続30年(1)」

2023年も今日で半分が終了します。
4月以降のネタがかなり溜まって来ましたので、そろそろ紹介していかないといけないのですが…実は私、先月(5月)で株式会社タミヤ勤続30年を迎えました(パチパチパチ拍手!笑)。

大学卒業後、1988年から5年間お世話になったリスパック株式会社(東京支店勤務)を93年4月15日付けで円満退職(もっとも東京でまだ観たいプロレスがいくつかあり、辞めた後も1~2週間会社の寮に居残っていたような 笑)、タミヤに入社したのはゴールデンウイーク明けの事でした。
つまりリスパックを辞めてからタミヤに入るまでの約3週間、社会に出て初めての無職期間を経験しましたが、その時しみじみ感じた事…晩酌してもあまり美味しくなかったのです。やはり、仕事に疲れて帰って来て飲むビールこそが最高にうまいのだと実感しました。プロレス業界でも今や悪名高い、還暦になる今日まで一度もまともに働いた事のないオキ○にはこの醍醐味は絶対わからないでしょう(笑)。

閑話休題、休み明けの5月6日が記念すべき初出社(おかげで前日の川崎球場、大仁田厚VSテリー・ファンクを観に行けなかったのが未だ心残り)でしたが、実は私、会社の場所を詳しく知りませんでした(笑)。
自宅兼事務所だった旧社屋(中学生の頃まで住んでいた)ならともかく、まだ私が東京にいた前年(92年)に移転した東大阪市の現在の社屋には一度も行った事が無かったからです。
初日から遅刻しては洒落にならないので、前日の5日にわざわざ場所を確認に行って来ました。 休日で無人につき外観をチェックしただけですが、明日から自分の人生を賭ける職場(イコール戦場)を前にして武者震い、闘魂がメラメラと燃え上がりました。
…と書けばドラマティックですが、本音は憂鬱で仕方無かったです(涙)。
社長が将来の後継者となる息子を修行の為、関係会社に預かって貰うのはよくある話ですが、周りを見てもたいていその期間は2~3年、リスパックにお世話になる時、何年で辞めると決めていたわけではありませんでしたが(入る前に辞める事考える馬鹿いるかよ!!笑)うちの親父は私を3年以内には呼び戻したかったようで、盆や正月に帰省する度「来年には辞めて帰って来い!」と圧力をかけて来ました。
はばかりながらリスパックの一員として愛社精神がありましたし、何より東京ではプロレスが見放題(笑)、勿論辛い事苦しい事も沢山ありましたが、それでも充実していた生活を捨てて何かにつけて特別な目で見られる家業に戻りたいなんて普通は思わないもの、私は頑なに拒否していました。プロレス団体から海外武者修行に出された選手の大半が会社からの帰国命令に「本音は帰りたくなかった。」と言うのがわかりましたよ(笑)。
勿論、いつかは帰らなければならない事は頭ではわかっていましたが、出来る限り長くとズルズルと引き延ばしていたものの、前述の新社屋が完成した92年にはかつてない程の強い圧力がかかりました。確かに新しい社屋に移り全社が心機一転のタイミングで社長の息子が凱旋と言うのは最高のアングル(笑)でしたが、これも何とか回避、但し「来年には帰るから」と約束を取り付けられ、最後は強制送還?されたのです(笑)。

リスパックを辞める時、ある上司から「田宮君、帰ったら裸一貫、一から教えて貰う殊勝な気持ちで行けよ。」とアドバイスされました。「なまじ我が儘が通ってしまう立場だから。」と諭されて流石は年の功、良い事言ってくださったと今でも印象に残っています。
また、あるお得意先の人からは「入社してすぐ、気がついた事を何でもノートにメモっておけ。」と勧められ、素直な私は実行していました。
人の特性として長所よりも短所が目につきがち、ましてや全国ネットの大会社で組織も出来上がっていた前の会社と比較すると、まだまだ家業から企業になりきっていない当時の我が社ではどうしても粗が目立つのは致しかたないところでしたが、そのお得意先の方にはこうも言われていました。「入社して半年経ったらそのノートを読み返して見ろ。いつの間にか自分もそれに染まっているから。」 確かに結構当たっていましたよ(苦笑)。
私の尊敬する糸山英太郎先生の著書「怪物商法」(File No. 329 参照)からの抜粋…
「会社にはその会社独特のカラーがある。入社した社員は「君もうちのカラーが身についたね。」と上役から言われると嬉しそうな顔をする。そんな事を言う方も言う方だが、言われて喜ぶ方も喜ぶ方である。どちらも大馬鹿だ。社員はその会社のカラーに馴染もうと努力すべきではない。むしろ自分のカラーでその会社を染めてしまうぐらいの意気込みが欲しい。
「あの男が入ってからはうちの会社のカラーもだいぶ変わって来たねえ。」そう言われて初めて嬉しそうな顔をすべきである。プロ野球でも阪急ブレーブスは灰色のカラーのチームと言われているが、灰色カラーに染まってしまった選手は不思議と人気が出ない、そんなものだ。」
私も最近のプロ野球事情はさっぱりですが、阪急ブレーブスと言っても若い方はわかりませんね、現在のオリックス・バッファローズの事です。しかしブレーブスが灰色カラーと言われていたのは知りませんでした。

こうして、株式会社タミヤでの激動の30年が始まったのです…。

(次回へ続く)