FILE No.841 「勤続30年(2)」
「勤続30年(2)」
(前回からの続き)
1993年5月6日、株式会社タミヤに入社した私が最初にやらされたのは仕入れの仕事でした。今思えば社の雰囲気に慣れる為の親心だったのかもしれませんが、営業がやりたかった自分としては非情に不本意でした。
仕入れと言ってもまだまだシステムもアナログな時代だったのでやっているのは雑用ばかり、仕入れ先との商談日を決めて週の半分は中途半端に開発部を兼任するようになったのがせめてもの救いでしたが、仕事にプライドが保てず悶々とした日々を送っていました。
そんなわけで最初の一年に関してはあまり思い出したくも無いのですが、人間にはもがき苦しむ時代も必要なのでしょう。
入社二年目、物流部門から来たベテランの部長に半ば強引に仕入れの仕事をバトンタッチ、ようやく新規開拓営業に専念出来るようになり文字通り“水を得た魚”状態、自分で言うのはおこがましいのですが、成果を上げられるようになって、やっと仕事が楽しくなりました。これも色々な部門を見ておくようにと言う親心で97年には京都営業所(現在は本社に統合し閉所)にて1年間勤務、98年には部長職、99年からは取締役となりましたが、この頃から当時の社長(元専務)と直接対峙する機会が増えました。
社長の朝令暮改連発で社内はばらばら、業績は悪化の一途を辿り、2000年、入社からわずか7年にして社長の大役が回って来ました。
それから後については過去の手記「社長10年史」「正義は勝つ」に記した通りなので割愛させて頂きますが、私の30年を振り返ると社員7年、社長23年と、既に社長の期間の方が3倍以上となりました。
人気コミックの「課長島耕作」は以降、「部長島耕作」「取締役島耕作」「常務-」「専務-」「社長-」「会長-」と奇しくも約30年の長期連載となりましたが、私の30年「課長田宮繁人」~「社長田宮繁人」も劇画化して欲しいものです(笑)。
我々の仕入れ先である大きなメーカーさんと話しているとよく、永年勤続10年や20年、はたまた30年で表彰されたとか、金一封や記念品を貰ったと言う話を耳にしていましたので、遅まきながら我が社でも制度を取り入れる事にしました。
但し10年、20年となると対象人数がそこそこ多くなるのでうちの場合は30年限定です。果たして私以外に30年選手がいるのかと社員名簿をチェックすると物流部門に3人もいましたよ。
一人は私と同じ年に入社、つまり同期となる女性社員、あとの二人は厳密には既に社歴37年と32年の大ベテランとなる男性社員です。
照れくさいので表彰は無しで金一封をお渡ししただけでしたが、皆さん喜んで頂けたと思います(人の本音は賞状よりもカネ!笑)。えっ?いくら包んだか?すみません、それは企業秘密です(笑)。
順当に行けば2年後に一人、以下3年後、4年後、5年後に各一人ずつ勤続30年を迎える社員がいますが、今のご時世だからこそ一つの会社に30年勤めるのは素晴らしい事、壁は高いですが是非皆に目指して欲しいものです。
これから待ち受ける過酷な運命を想像して不安と憂鬱に苛まれたあの日から30年、前述の3人を除いて当時のメンバーはもう誰もいなくなり、私がいる2階の営業部門のフロアではいつしか私が最古参になってしまいました。
元気で長生きし88歳で旅立つ予定の私、まだ全く未定ながらきちんと後継者を育ててきりの良いところで第一線を退かねばと思っています。
劇画の最終作となる予定の「会長田宮繁人」が「老害田宮繁人」と揶揄されないよう気をつけます(笑)。