FILE No.843 「アポロ・パワー」

「アポロ・パワー」

今回は5月編、GW真っ只中の3日は闘道館でのターザン山本さん&工藤めぐみさんのトークバトルとDDT横浜武道館をはしご、5~6日は柳ヶ瀬プロレス観戦の為、岐阜に遠征しました。

初日の会場は岐阜駅の真ん前にあるじゅうろくプラザ、目と鼻の先には我が古巣、リスパックの持ち物大岐阜ビルがあり、外から懐かしく見学しました(笑)。
杏ちゃむちゃんはパピヨン朱美とのコンビで、前月(4月)それぞれシングルでドローの沙恵&マリ卍の柳ヶ瀬プロ勢とタッグ対決も相棒がやられて初戦は敗退となりました。翌日は岐阜市最大のタワーマンション、柳ヶ瀬グラッスル35のテラスでの無料試合で、杏ちゃん&沙恵&マリ卍の3WAYで再度激突も沙恵がマリをフォールして終了、真の決着はまたも持ち込されました。
(5月GWのツーショット集 こちらをクリック)

そして5月のハイライトは第2週の日曜日、なんと!アポロ菅原さんにお会いすべく、遠路はるばる熊本まで行って来ました!!
アポロ菅原こと菅原伸義さんは1979年9月に国際プロレスでデビュー、81年に国際が解散後は全日本プロレスに移籍、私が菅原さんの試合を初めて観たのがちょうどこの時代でした。84年9月に欧州(オーストリアのウイーン~ドイツのハノーバー)に短期遠征し12月に帰国すると当時、全日本のリングで結成された元国際プロレス勢の軍団、国際血盟軍(メンバーはラッシャー木村、鶴見五郎、剛竜馬、後に高杉正彦も)に加入します。
リングネームが本名の菅原伸義からアポロ菅原に変わったのがちょうどこのタイミングで、ボディビルをやっていた事から全日本時代のパンフレットに「アポロパワー」のニックネームで紹介されていた事が由来でしたが、当時はそのまんまだなと思ったものです(笑)。
その頃の全日本は長州軍団のジャパンプロレスと業務提携中、さらに86年からはカルガリー・ハリケーンズ(スーパーストロングマシン、高野俊二、ヒロ斉藤)も参戦する等、日本人選手が飽和状態となり、そのしわ寄せは外様の国際軍に及び86年、菅原さんは剛、高杉とともに自由契約の憂き目に遭いました。
しかしここで3人は一念発起、89年には日本初のインディペンデント、パイオニア戦志の旗揚げにこぎつけます。私も旗揚げ戦(4月30日 後楽園)を観に行きましたが物珍しさもあって予想以上の盛況ぶりでした。
その後の菅原さんは元横綱・北尾光司のプロレス転向の練習パートナー&コーチ役のオファーを受けて渡米、北尾が新日本でデビューした流れから自身も一時期所属となるもメガネスーパーが旗揚げしたSWSへと移籍、ここでマニアにはあまりにも有名な鈴木みのる(当時、藤原組)とのシュートマッチ(91年4月2日 神戸)が実現しました。
SWS解散後はNOW、東京プロレス、フリーランスと流浪のプロレス人生を歩んだ菅原さんでしたが、2002年、北海道のアジアンプロレスでの試合を最後にぷっつりと消息が途絶え、国際を除いて全てをリアルタイムで観て来た者としてはずっと心配していました。
そんな菅原さんが再び表舞台に現れたのは3年前、複数のメディアの取材に応じ、奥様の故郷である熊本にて居酒屋をオープン、YouTubeチャンネルも開設するなど健在ぶりがわかってほっとしたものです。
出来れば東京や大阪でイベントをやって欲しかったのですがコロナ禍、それに現実として費用の問題もあってなかなか実現には至らず、ずっとやきもきしていました。
「来ないなら 自ら行こう ホトトギス」…こうなったら何処かのタイミングで熊本まで遠征しようと狙っていたところ、タイミングよくお店でイベントをやるとの告知あり、これはもう行くしかない!と即決しました。
最近、一部ファンの間で「推しは推せるうちに推せ。」なる言葉が流行って?いますが、私自身も過去何度も(あの時行っておけば!)と後悔した事が多々あり、もう後の祭りで悔やむのはごめんです。これぞまさしく猪木イズム、「迷わず行けよ!」の精神ですよ。

大阪から熊本へは新幹線で3時間半、行く道中は(遂にアポロさんに会える!)と恋人と再会するようなドキドキ気分でした(笑)。
ようやく熊本入り、駅前のホテルで旅装を解いてからタクシーで熊本大学に近いキッチンアポロを目指しましたが、車は大学裏手の細い道を延々…これは地元民で無いと絶対辿り着けません(苦笑)。
お店に到着し緊張しながら扉を開くと、おおっ、正真正銘、本物のアポロ菅原さんが眼前に!ご本人のお店ですから当たり前ですが(笑)本当に感激しました。
イベントの方は問題の鈴木みのる戦、そして同じ日同じ場所で行われたもう一つのシュートマッチ、北尾VSジョン・テンタ、さらに北尾のデビュー戦(90年2月10日 クラッシャー・バンバン・ビガロ戦)の映像を観ながら菅原さんが解説していくと言うディープな飲み会で、集まったのは殆どが近隣の熱心なマニアでしたが、私以上に遠方の東京からわざわざやって来た方もいました。
菅原さんは自身の鈴木戦、北尾-テンタ戦に関しては、様々なインタビュー、YouTubeの中でもたっぷりと語っていますのでそちらを参照して頂くとして、北尾のデビュー戦に関しては相手のビガロが試合巧者と言う事もあり「そんなに悪い試合ではない。」 

当時私も東京ドームで観戦し試合後の強烈な大ブーイングを覚えていますが、確かに今改めて観てみると別段悪い試合とは思いませんでした。北尾がキンキラキンのコスチュームに身を纏いハーレーに乗って入場、コールとともにTシャツを破るなど鼻につくパフォーマンスで散々場内を爆笑させた挙句、フィニッシュがギロチンドロップ一発とあまりに呆気なかった事がブーイングに繋がったのだと思います。
菅原さんも奥様もとても気さくな方で料理も美味しく、大変楽しい宴となり、遠くまで行った甲斐がありました。この日撮らせて頂いた菅原さんの写真をSNSにアップしたところ、ドクトルルチャこと清水先生から連絡があり、Gスピリッツに掲載して頂ける事となりました(6月28日発売済み)。

あまりに遠距離につき、具体的にいつとは言えないもののいつか必ず再訪したい菅原さんのお店、合い言葉は「推しは推したい時に推せ。」そして「迷わず行けよ行けばわかるさ!」