FILE No. 901 「ミステイクの後始末」
「ミステイクの後始末」
仕事にミスはつきものですが、お恥ずかしながら弊社でも時々お客様からの注文の内容を間違える、いわゆる受注ミスが起こります。
特にあってはならないのが別注商品の受注ミスで、色や印刷文字を間違えた、あるいは商品Aが必要なのにBを作ってしまったなど内容は様々、最近もお得意先に迷惑をかけてしまった事がありました。間違えて作った別注品は廃棄せざるを得ず報告を受けて頭を抱えたものでしたが、少し時間が経って続報がありお得意先に懇願して値段を半額にして何とか使って頂ける事になりました。当然半値だと大損ですがそれでもまるまる廃棄する事を思えばダメージは少なく、思わずミスをした社員を「よくやった。」(?)と誉めてしまいましたよ(苦笑)。
この話を聞いて思い出したのが今から32年も前、リスパック時代の事でした。
実はこの話は13年前のブログに克明に記していますが(File No.231~233 参照)当時とは読者の大半が入れ替わっていますので要約して再度お届け致します。決してネタ不足の手抜きではありません(笑)。
1992年の年末も押し迫ったある日、私はあるお得意先から別注の味噌汁カップの引き合いを頂き、工場に生産依頼をしましたが、工場が印刷文字の色を間違えてしまいました。
写真は某コップ屋さん提供の味噌汁カップですが、見ての通り味噌汁のカップと言えば大抵印刷された文字は茶色が一般的、私が受注した時もお客様からの指定は茶色でした。
しかしこれが紫色になってしまったのです。写真が無いのが残念ですが(1個残しておけば良かった 苦笑)紫色文字の味噌汁容器、いかにもまずそうです(苦笑)。
実はミスの原因は私が工場に送った依頼書の書き間違いでした。なんせ当時はまだパソコンでなく手書きの時代、私の乱筆で工場がDICの色指定番号が読めなかったのです。
番号だけでなくはっきり「茶色」と書いておけば流石におかしいと気がついてくれたのでしょうが、いずれにせよ言い訳のしようのない私の大チョンボ、しかも30ケースだったか、はたまた50ケースだったか正確な数量は忘れましたが出来上がった商品は工場から直接ユーザーの元へと送られましたので、私はミスをした事すら気づいていませんでした。
ユーザーの窓口となる代理店の集金日、お金を頂こうと訪問すると先方の社長(と言っても一人でやっている個人商店)がそれこそ真っ青な顔で待ち構えており、そこで初めて私は一大事になっているのを知りました。
色の間違いにユーザーが激怒(当然)、その代理店さんはユーザーから「事が解決するまで」まるまる一か月分の支払いを保留にされていたのです。これは小さな個人商店にとっては死活問題、社長が今にも泣きだしそうな表情で「お前の頭をぶん殴ってやりたいぐらいだよ!」と言ったのを今でも覚えています(苦笑)。
当然こちらも集金どころではありません。ユーザーは「メーカーの責任ある立場の人間を連れて来い。」と言っているとの事で、私は重い足どりで帰社し直属の上司だった城戸課長に相談したところ、年末で忙しさもピークで相当不機嫌だったのでしょう、苦虫を嚙み潰したような顔で「くそ、この忙しい時に…」と独り言を言ったかと思うと「知るか!」と言われました。
あ~、とうとう上司からも見捨てられた、こうなったら何が何でも自分で解決するしかないと腹を括った私、工場に確認すると「作り直すなら早く言ってくれ、今ならまだ間に合うから。」の返事は貰いましたが、そうなると最初に納品した数十ケースは返品の上、廃棄処分となるので出来るならこれは避けたいと思っていました。
元々私の撒いたタネで言えるべき立場ではありませんが印刷の色が間違っていても使えないわけではないので、再び代理店まで出かけて再度深くお詫びした後、年末なのでどうしても作り直しが間に合わない(ここは嘘も方便)、今回分は半額にするので何とかこれを使って頂けないかと相談しました。すると社長は「わかった、おまえは行かなくていい、俺に任せろ。」とユーザーに交渉に行き、うまく話をまとめてくださいました。
当初激怒していたもののユーザーも心の広い方で「リスパックさんに今後も世話になる事もあるだろうから。」とこちらのお願いを聞いて下さり、当初の半額になってしまいましたが無事代金も回収出来ました。
損害を最小限に防げたのでほっと胸を撫でおろしましたが、私はこの顛末を城戸課長に報告しませんでした。「知るか!」と言われ正直カチンと来ていた事もあったし、そう言われた以上報告の義務も無いと勝手に解釈していたのです。今思えば自分のチョンボを棚に上げて何たる不良社員、まあ若気の至りですが当社の社員は決して真似しないように(苦笑)。
何日か経ってこの日は珍しく機嫌が良かった?城戸課長が私に話しかけて来ました。
「田宮君、こないだは忙しくてゆっくり聞けなかったけど(これだよ!笑)印刷ミスで集金が保留になっているとか言っていたあの話、どうなった?」
「ああ、あれならもう解決しました。」と半値にして何とか使って頂いた事後報告をすると「馬鹿野郎!誰が半値にしていいと言った!?」とまた怒られました。
しかし、何度も言うように同じ赤字でも返品&廃棄処分よりは遥かにダメージが少なく現状ではベストな解決法だったと思っていたので(この人何を怒っているんだろう?)と正直理不尽に思いましたよ。
翌93年の4月に私はリスパックを退社、実家に帰ってタミヤに入社し、それから半年程過ぎてリスパックの勉強会の場で城戸さんと再会したところ、唐突にもう一年近くも前の味噌汁カップ事件の話を持ち出されました。
聞けば、私が退職後に別の営業マンが全く同じ印刷の色間違いのチョンボをやらかし、その営業は工場に作り直しをさせたのだそうです。当然ミスした在庫は廃棄処分、その顛末を見て城戸さんは私の事を思い出し(あの時例え半値でも売って来たあいつは偉い奴だ。)と思ったと言うので、思わず「その言葉、在職中に言ってくださいよ!」と突っ込み大爆笑となりました(笑)。
城戸さんはこの件がよほど印象深いのか、それからもお会いして飲みに行った時など、何度となく同じ話になりましたが、5年、10年と月日が流れると「俺の中ではあの時誉めた印象しかないんだけどなあ。」と言い出すじゃないですか! 私はこの時、人間とは記憶を自分に都合のいいように書き換えていくものなんだと実感しました。
今回のブログは13年前に書いたネタの再録ですが、執筆にあたり一切当時の原稿を参考にせず記憶のみに頼って書きました。お暇な方は両方を読み比べて頂ければ私の書いている事に一切ブレが無い事がわかっていただけるでしょう。それは私が嘘偽り無い真実を書いているからだと自負しています。
今後も同じネタの焼き直しが増えるかもしれませんが(まるで「サザエさん」のよう)冒頭にも書いたように連載900回を突破した現在、読者も相当数入れ替わっていますので、多少は目を瞑ってください(笑)。
【 訃報 】
6月のブログ(File No.891 参照)で、ワイルド・サモアンズの弟、シカ・アノアイの訃報をお伝えしましたが、まるで弟の後を追うように兄(*前回双子と記したのは誤り)のアファ・アノアイもお亡くなりになりました(享年81歳)。
また、ビシャス・ウォリアーとして89年に新日本プロレスに初来日(結果として来日はこの一度きり)したシッド・ビシャスの訃報も飛び込んで来ました(享年63歳)。初来日後の90年代にはWCW、WWF(現WWE)のトップ戦線で大活躍、私は2018年にアメリカでお会いしました。
ワイルドサモアンズ、シッド・ビシャスのご冥福を心よりお祈り致します。