FILE No. 961 「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(4)」

「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(4)」

(前回からの続き)

85年を最後に日本から消えたハルク・ホーガン、時代は昭和から平成に変わり90年、WWFが全日本プロレス、新日本プロレスと共催の形で東京ドームに進出、「日米レスリングサミット」を開催しました(4月13日)。
5年ぶりに来日したホーガンは全日本外国人ナンバーワンの座を未だキープしていたかつての兄貴分、スタン・ハンセンと9年ぶりに対決、アックスボンバーで勝利してハンセン越えを果たしました。

翌91年には新興団体SWS(File No.706708 参照)がWWFと業務提携した事によりSWSに参戦、これまた東京ドーム(12月12日)で天龍源一郎とのドリーム・マッチに快勝、そして93年には新日本プロレスが初進出した福岡ドーム大会(5月3日)に参戦しグレート・ムタに勝利しました。
8年ぶりの古巣への里帰りに試合後のホーガンは「家に帰って来たような嬉しさだ。」と感無量の表情で「もう一度、アントニオ猪木と戦いたい!」とアピール、この後9月23日の横浜アリーナ、26日の大阪城ホール、そして翌94年1月4日の東京ドームに参戦しましたが、猪木とはすれ違いでした。
94年から猪木が引退に向けてのファイナルカウントダウンを開始したので、95年の1・4ドームではいよいよホーガン戦が期待されましたが、94年7月にホーガンが電撃的にWCW入りし再び来日が途絶え二人の最後の決着戦は幻となりました…。

天龍源一郎戦は91年のベストバウトに
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)
娘のプロモーションでの来日、猪木と再会
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)
最後の来日でKENTAと共演
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)

次にホーガンが来日したのは実に9年後の2003年10月13日、東京ドームのリングで蝶野正洋をくだしましたが、結果的にこれが日本のラストファイトとなり、2007年には娘でシンガーのブルックさんのプロモーションに付き添う形で来日、アントニオ猪木と公式の場では最後の対面が実現、それから7年後の2014年にはWWEの日本公演に参加しましたが、これが本当に最後の来日となりました。
この時は大阪でリング上でのKENTAの公開契約に立ち会うという役どころで、生ホーガンを拝む為に出かけました(File No.385 参照)。
KENTA退場後はホーガン一人がリングに残り「リアルアメリカン」のテーマに乗って世界を魅了した筋肉パフォーマンス全開!おおっ、これが観たかった(涙)!
館内はホーガンワールド一色となり流石の千両役者ぶりを感じさせました。
この最後の来日時、東京ドームホテルで偶然ホーガンを見かけた人によると5人ものSPが警護する程の物々しさでちょっとした国賓並み?だったとの事、あまりにも超大物過ぎて直接お会いする機会が無かったのですが、フロリダにあるホーガンのオフィシャルショップでは時々サイン&撮影会があったらしく、ファン仲間といつか行きたいねと話していたものの夢が叶わず残念でした…。
ただ冒頭にも書いたように私は82年9月、大阪でのサージャント・スローター戦を皮切りに日本ラストマッチの2003年の蝶野戦まで、生涯で12試合もホーガンの試合を観戦出来ました。何しろ90年代以降は来日自体がレアでそれもドーム級の会場ばかり、それらの大半を生で観る事が出来たのはかけがえのない思い出です。こうなると猪木戦を観られなかったのが本当に残念、83年のIWGPの大阪大会、やはり中間テストなど無視して行っておくべきでしたよ(苦笑)。
そう言えばフロリダ州が8月1日を「ハルク・ホーガンの日」に制定した(今年のみか、来年以降もかは未定)と言うネットニュースを目にしましたが、何故誕生日(8月11日)でも命日(7月24日)でもない8月1日なのかは今いち不明です(苦笑)。

4回に渡ったこの駄文のラストは週プロのホーガン追悼号に掲載された天龍さんのコメントで締めさせて頂きます。
「以前、ハワイ行きの飛行機の中で読んだ機内誌にエンターテインメント業界の世界長者番付が載っていて、その十傑にホーガンの名前が入っていたんだ。年間何十億と稼いでいた頃だと思うけど、同じ業界に生きる者として鼻が高かったよ。
他のスポーツ、エンターテインメントに割り込んでいってプロレスラーと言う職業を植え付けてくれた。映画に出たり、世界的な有名人と交流したり、その功績ははかりしれないし、俺たちが胸張っていられるのはホーガンのおかげだよ。
プロレスラーって夢がある職業なんだなって思わせてくれたと言う意味でも偉大だし、プロレスの歴史をさかのぼってもホーガンに勝るレスラーはいないと俺は思っているよ。
世界中何処に行ってもホーガンは知られていたし、あのトランプ大統領が哀悼の意を示したんだから。そんなレスラー、ホーガン以外誰もいないよ。」

永遠のリアルアメリカンヒーロー
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)

“ミスター・プロレス”と呼ばれた人にここまで言わせしめたホーガンはやはり100年、いやひょっとすると1000年に一人のスーパースターと言うと言い過ぎでしょうか?
とにかく世界の「一番」、ハルク・ホーガンと同じ時代を生きられた事が幸せでした。
超人伝説は永遠に語り継がれます…。

ローラン・ボック、エリック兄弟、ハルク・ホーガン、毎週毎週マニアックな話題が続きすみません(笑)、次回もまだうだるような暑さが続いた真夏のネタです。