FILE No. 886 「ビデオ(1)」
「ビデオ(1)」
友人がFacebookの投稿に「実家で片付けをしていたら1978年7月、最初に購入したビデオデッキが出て来た。」とアップしていた写真を見てびっくり!
SONYのSL8300と言うその機種は同時期、我が家にやって来たビデオ第1号と同じ物だったからです。
家庭用のビデオテープレコーダー(以下ビデオ)の歴史は古く、1971年にはUマチックと呼ばれるカセットテープを使用した方式の物が発売されましたが、相当に高額だった事もあり一般家庭には普及しませんでした。
その後、ソニーが75年にベータマックス方式、翌76年には日本ビクターがVHS方式のビデオを上市、80年代に入って急速に広まって行きます。
私がガキの頃、つまりビデオの無い時代は観たい番組があるとリアルタイム、放送の時間に絶対テレビの前にいなければなりませんでした。
大のテレビっ子だった私にとっての鬼門は家族で外出する時で、母方の実家である福井県への帰省日がちょうど土曜日にぶち当たり「仮面ライダーV3」が観られなかったのが物凄く悔しかったのを覚えています。因みにイカファイアとテレビバエ(奇しくもテレビ!)の回でした(73年3月3日、第3話「死刑台のV3」)。
また、テレビの前にいたとしても観たい番組の時間が重なってしまうとアウト、当時はゴールデンタイムで特撮&アニメ番組が毎日洪水のように放送されていましたが「ウルトラマンA」の裏番組だった「変身忍者嵐」、同じく「ミラーマン」の裏の「シルバー仮面」は観られませんでした。「ウルトラマン」も「ミラーマン」も円谷プロダクションの代表作、やはり私は幼少期から無意識のうちに円谷作品を優先していたのかと思いましたが「サザエさん」があったので「ファイヤーマン」は見逃しました(苦笑)。
まだ家にテレビが一台しか無い時代はチャンネル権を確保するのが大変で、皆様の中にも親や兄弟のおかげで観たい番組を見逃した方が多いかもしれませんが、私の場合かなりの確率でチャンネル権を独占していましたので、あまりそれで悔しい思いをした記憶はありません。
以前にも書きましたが75年、プロレスに目覚めてから苦労したのが日本テレビの「全日本プロレス中継」で、土曜夜8時のゴールデンタイム枠でしたが何しろ日テレと言えば巨人軍、4月からプロ野球が始まると巨人戦が最優先となり全日本プロレスは夜11時45分(大阪の場合)に回されてしまうのです。小学生にこの時間はとても無理な相談で、それでも視聴しようと歯を食いしばって何度かチャレンジしましたがことごとく玉砕、ある時などジャイアント馬場VSドリー・ファンク・ジュニアの三本勝負を観ていて1本目の途中で寝てしまい、はっと気が付いたら3本目になっていました(苦笑)。
そんな苦労をしていたある日、普及型家庭用ビデオの元祖(実質的に)とも言えるソニー製品の発売のテレビCMを観て衝撃を受けました。
「さあ、今夜は楽しみにしていた映画の放送♪しかし(裏番組の)野球も見逃せない!そんな時は映画を録画、お好きな時間に楽しめます。」
それまでドラマの主題歌や歌番組など、テレビの音声を「録音」した事はありました。
それもコードで繋ぐ技術も知らず、テープレコーダーをテレビのスピーカーの前に置いて皆に「静かに!音を立てないで!」と言う原始的手法(笑)、しかし、まさか、まさか!
テレビを「録画」出来る時代が来ようとは!!
私にとってはまさに夢の機械、ドリームマシーン(桜田一男さんではない 笑)の誕生、感動&興奮して早速親に「買って欲しい」と泣きつきましたが、うちの両親もそこまで特別にテレビや映像に関心が無く(恐らく私が突然変異 笑)、ましてや当時は価格も相当高かったはずで、あっさり却下されました。
それから約3年の長きに渡る地道な選挙活動(笑)によって、私が中学1年生となった78年7月、ようやくOKが出ました。因みに冒頭の友人の記憶によるとこのソニーのSL8300の価格は約20万円だったとの事、調べて見ると78年の大卒の初任給平均が10万5500円ですからやはり高い買い物で、改めて親に感謝です。
何故私が購入時期まではっきり覚えているかと言うと、ファンになったばかりの太田裕美さんが「ドール」(File No.438 参照)を歌っている姿を録画したからです(78年7月1日リリース)。
ビデオが我が家にやって来る日は朝からウキウキで落ちつかず、「三丁目の夕日」で初めてカラーテレビが家に来る日の一家の大騒ぎが描かれていましたがまさにあの様相でした。最もはしゃいでいたのは私だけでしたが(笑)。
掲載写真を見るとご丁寧に操作の手順を①、②、③とシールを貼ってくれているのがわかりますが、使用方法はカセットテープレコーダーと同じ要領で極めてシンプル、まず電源を入れる → ビデオテープを中にセットする → 録画したい番組のチャンネルに合わせる(ガチャガチャのダイヤル式が懐かしい) → 右から2番目、赤色の録画ボタンを下におろす。番組開始の頭出しに遅れないようにするには予め一番左の一時停止ボタンを押して待機するのもテープレコーダーと同じでした。
充実したビデオライフの始まり、クラスの友達にもビデオを持っている家などまだ無く、よく「あの番組録画しておいて。」と頼まれたりしました。
残念ながらこの時期の私はプロレスからは離れていて(後悔だらけの人生の中で最も後悔している事の一つ 涙)このビデオ第1号機でプロレス中継を録画した記憶はありません。
主に録画していたのは前述のように太田裕美さんの出演番組、そして何と言ってもどっぷり浸かっていたウルトラシリーズの再放送でした。
友人の記憶では当時の120分テープは1本4000円程、中学生のおこずかいで何本も買えるシロモノでは無く、毎日夕方や早朝に放送されるウルトラマンを何度か見ては消す、繰り返し録画を続けていましたが、そのうちあまりの酷使ぶりに再生すると画面がノイズまみれになりました。
(次回へ続く)