左手首骨折が発覚し8月7日から不自由なギブス生活に入りましたが(FILE No.437「アクシデント」参照)、めげない私は翌8〜9日、新日本プロレスのG1&太田裕美さんのコンサートの連戦で横浜に行って来ました。
8日の午後は都内でとある「検定試験」を受講、試験会場は墨田区のう○こビルのすぐ裏にあるすみだリバーサイドホールでした。
墨田区と言えば同業のHさん、試験前には一緒に昼食をとらせて頂き、試験終了後は再び合流、一緒に横浜に向かいました。
と言っても私は横浜文化体育館でのプロレスですが、Hさんは本日は横浜スタジアムでの野球観戦が目的です(野球もお好きだったのですね 笑)。
JRの関内駅に到着すると野球&プロレス観戦組で既にごった返していました。
駅を出て左に行くと横浜スタジアム、右に行くと横浜文化体育館への道となりますが、そう言えば私、横浜スタジアムにも一度だけ来た事があるのを思い出しました。
あれは92年9月、FMWが行った大会でメインは大仁田厚とタイガー・ジェット・シンの電流地雷爆破デスマッチ、懐かしいな〜…。
やはり野球に行く人が圧倒的に多いもののプロレスの方も負けてはいません、横浜文体も凄い人でした。
この会場にやって来るのは数年ぶりですが、私の印象としては昔から意外に集客に苦戦する会場で、プロレスブーム最盛期と言われた時代でも満員マークがつかない事がありました。なまじ東京に近いだけに後楽園ホールや両国国技館と食い合いになりやすいからでしょうが、今回はG1だけあって見事に超満員、しかもこの日は8月8日!
以前にも書いたように(FILE No.435 参照)88年にここで藤波vs猪木の伝説の60分フルタイム戦があった記念日です!
8.8に同じ会場で大会をやってくれるなんて新日本もなかなか味な事をやってくれますが、プロレス女子を中心に今会場に来ている連中の大半はそんな事など知らないだろうと思っていたら、メインで棚橋弘至選手と戦った柴田勝頼選手が弓矢固め、インディアンデスロック、卍固めを繰り出した時、私の近くの客が「おっ、猪木!」「今日は8.8横浜だ!」と叫んでおりました。ああ、仲間がいて良かった(笑)。
さて、横浜2DAYSの二日目はコンサートですが、夕方開始なので朝都内のホテルをチェックアウトした後、時間が十分にありました。
お昼からは後楽園ホールでプロレスリングWAVEの大会がありましたが、発表されたカードを見ると華名選手の名前がないのでイマイチ観戦意欲が湧かず、パスするつもりでした。
ところが土壇場になって第3試合の6人タッグ戦にセコンドとしてXが登場するとの告知、その正体のヒントが1、本気のお金持ち 2、とにかくお金が大好き 3、ケツと乳に自信あり 4、9月15日がXday…これって華名ちゃんじゃないの!
しかもヒントの告知があったのが試合前日ですからね、急遽当日券買って行きましたよ。Xは期待通り華名選手で、急遽8人タッグに変更となり試合にも参加、めでたしめでたしでしたが、折角都内にいるのにもう少しで見逃すところでしたよ。
危ない危ない、残り少ない貴重な試合なんだから紛らわしい演出止めてくれ!
尚、休憩時間のサイン会では華名ちゃんに「あら、腕怪我して!お大事に。」と言って頂きました(笑)。
この日、もう一つの注目は特別参戦の鈴木みのる選手で、何と女子選手とのシングル戦でしたが手加減なしで凄みを見せつけてくれました。
今回のテーマは横浜ですが、奇しくも鈴木選手も横浜出身でしたね。
(プロレスリングWAVE8.9後楽園大会はこちらをクリック)
試合終了後はまたも横浜へ…「太田裕美コンサート2015」、会場は山下公園の真ん前にある神奈川県民ホール(小ホール)でした。
7月の京都はWWE日本公演(FILE No.432 参照)とバッティングで無念の欠場となった為6月以来となったソロコンサート、実はこの日私がどうしても聴きたい曲がありました。
1978年7月1日に発売された、裕美さんの12枚目のシングルに当たる「ドール」です。
…と言うわけで今回は
「木綿のハンカチーフ」(FILE No.158参照)
「君と歩いた青春」 (FILE No.190参照)
「赤いハイヒール」 (FILE No.257参照)
「九月の雨」 (FILE No.293参照)
「さらばシベリア鉄道」(FILE No.334参照)
「心はいつも日本晴れ」(FILE No.340参照)
と続いて来た太田裕美・名曲シリーズ、2年ぶりの復活です!
以前にも書きましたが78年と言えば私は中学一年生、裕美さんがちょうど「ドール」を歌っている時にファンになったので、この曲に対する思い入れは物凄く強いのです。
その数年前、「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしていた頃から裕美さんの存在自体は知っていたのに、その時は無関心だったのが何故突然ファンになってしまったのか、不思議と言えば不思議ですが中学生になって私も人並みに色気づいたと言う事でしょうか(笑)。
レコード屋に行って「ドール」のレコードを購入、シングル盤(EP)が600円の時代でした。
小学生の頃、親にアグネス・チャンとか山口百恵のレコードを買ってもらった事はありましたが、この曲こそ私が自分のお小遣いで初めて買った女性シンガーの曲なのです。
当時から裕美さんは「自分はアイドル歌手じゃない」と言っていましたが、その頃はテレビに出演するアイドル系の歌手と、テレビには出ずコンサートを中心に活動するフォークシンガー(松山千春がその典型だった)がはっきりと分かれていた時代でした。
その中で裕美さんは他のアイドルのようにテレビには出るし、学園祭を始め最盛期には年間130本以上のコンサートをこなすという、アイドルと本格フォークシンガーの中間を行く稀有な存在でした。
ファン層も大学生や社会人が中心で、私のように中学生のファンは異色だったと思います。
アイドル全盛時代、周りはピンクレディー、キャンディーズ、石野真子、榊原郁恵のファンが多く、太田裕美ファンの私は異端児扱いされていました。(当時から孤高の天才の片鱗が見える? 笑)
高校生の頃はファンクラブに入っていたのですが、ファンの集まりに顔を出したらやはり来ているのは自分より年上のお兄さんばかりで皆から「君は高校生?」と珍しがられました。
当然その頃のファンが年齢を重ねて現在コンサートに来ているので、会場を見渡すと今も私が最年少のようです(笑)。
「ドール」は作詞・松本隆、作曲・筒美京平の天才コンビによって作られた、おもちゃのピアノによるイントロと♪Doll Doll Doll よこはまドール〜と歌うサビが印象的な名曲です。そう、歌の舞台がここ横浜なのですが、本当に完成度の高い名曲なので皆さん是非聴いて見て下さい。
当時の振り付けでは前述の独得のイントロ部分で裕美さんはマイクを下にかざして横を向くポーズでしたが、口の悪いクラスメイトに「あれは山口百恵のプレイバックPart2のマネじゃ。」と言われたものです(笑)。因みに百恵ちゃんの「プレイバック…」は「ドール」より二ヶ月早い発売でした(汗)。
私が最も思い入れがあり、しかも横浜がテーマの「ドール」をご当地で何としても聴きたいと思うのが人情、私は絶対に歌ってくれると確信していました。
夕方5時に開演、次々と懐かしい名曲や普段は滅多に歌わないアルバムの曲を披露する裕美さん、勿論大満足でしたが、私が期待する「ドール」がなかなか出てこないので、だんだんと不安になって来ました。
ステージが始まって一時間半が経過、そろそろラストに近づこうとしているのに歌う気配がないので、諦めモードで内心がっかりしていたところに、唐突に聴き慣れたメロディが!
(アンコール前の)ラスト曲「木綿のハンカチーフ」の一曲前にようやくのおでましで、一気にテンションが上がりうるうる状態、横浜の地で完全に心は1978年にタイムスリップしていました。 まさかラストの直前に持ってくるとは意表を突かれましたが、重いが通じて良かったです。裕美さん、ありがと〜!!
アンコールも盛り上がり夢見心地で帰途に着こうとしたらJRが火災事故とかでストップしていて焦りましたが、私鉄の振り替え乗車で無事新横浜に到着できました。
横浜名物・崎陽軒の焼売弁当を食べながら新幹線で大阪に帰りましたが、私の脳裏にはいつまでも「ドール」の旋律が鳴り響いていました。
今月も二回も裕美さんのステージがあるので待ち遠しいです。
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