FILE No. 929 「闘魂猪木塾(5)」

「闘魂猪木塾(5)」
(前回からの続き)
闘魂猪木塾、帰国前夜の最終イベント、猪木塾長の講演会に“海賊男”ガスパーのコスプレで参加した私、集合時間にホテル内の会議室に行くと近ツリの永崎さんにバカ受け、無謀にも折角なら猪木さんにドッキリを仕掛けようと言う話になりました。
やがて猪木さんと小川直也さんが到着、永崎さんが「実は今日、猪木塾長に是非会いたいと言うスペシャルゲストをお招きしているんですよ。」と前フリ、合図で別室に潜んでいた私が疾風のように乱入に猪木さんに襲いかかりました。場内大爆笑、猪木さんも大笑いで「昔いたねえこんな人」とかつての怨敵との再会?を喜んでくれました(笑)。
以来私は常連の塾生から「海賊さん」「ガスパーさん」と呼ばれ、この後の猪木塾で馬鹿の一つ覚え?何度も同じ芸をやる事になりました(笑)。
この後は事前に塾生に配布されたアンケートを元に選ばれたアントニオ猪木名勝負15選のダイジェスト映像を観ながら猪木さんが解説をすると言うコアな企画で、各試合に一人ずつ塾生が感想や思い出を語る事となり、光栄にも私は我が心のベストバウト第1位であるビル・ロビンソン戦を担当させて頂きました。
会の最後は猪木塾修了証書の授与式でしたが、ここで塾長から我々に素晴らしいプレゼントがありました。な、なんと!半紙に毛筆でしたためた「道」の詩を全員にプレゼントしてくださったのです!!30人以上の全員分を書き上げるのにどれだけ時間がかかった事でしょう。前日にビッグ・ベア・レイクからロスの自宅に戻ってから一晩で書いてくださったのだとしたら、殆ど寝る時間が無かったのではこちらが心配になってしまいました。
「何とか皆さんにお礼がしたくて…」と猪木さん、あまりの感動に皆、声を失っていましたよ(涙)…。
最後は皆で「1、2、3、ダーッ!!」の大合唱、「炎のファイター」のテーマが流れる中、皆で猪木さんと小川さんを握手攻めで見送り、闘魂猪木塾全プログラム、感動のフィナーレとなりました。
ところで、猪木さんから頂いた大切な宝物はなんせ半紙なので、皆さん持って帰るのに苦慮していました。
ラッキーな事に私は前回書いた通り海賊男のコスプレ用にたまたま売店で見つけたステッキ型のお菓子(写真参照)を持っていた事が幸いしました。中が空洞なのでくるくる丸めて収納、無事持ち帰る事が出来たからです。
翌日は午前11時発、行きと同じ大韓航空機で無事に帰国、成田空港で皆で再び「1、2、3、ダーッ!!」の雄たけびを上げ、またの再会を誓って解散となりました。帰国時の空港での「ダー!!」は以後お約束となりましたが、皆でやれば恥ずかしくないです(笑)。
海外での「闘魂猪木塾」は翌99年の第3回がグランドキャニオン&モニュメントバレー、2000年はパラオ、01年がヨセミテ&セコイア国立公園とトパンガキャニオン、02年もパラオ、03年がパラオ、ニューヨークと初の年2回、04年が無く、05年のイタリアが最後となりました。
私は99年グランドキャニオンが無念の欠席、00~02年まで3年連続参加、03年は2回とも不参加、最後の05年イタリアで3年ぶり復活と言う出席状況でした。
言い訳をすれば社長就任(2000年)後はあまりにゴタゴタが続き、会社を長期に休める余裕が無かった事が今持って悔やまれます。
最後のイタリアに3年ぶりに参加出来た時、塾生仲間から「久しぶり、会社はどう?」と聞かれ、冗談半分本気半分で「もうやばい。」と答えたら「そうか、じゃあ今回(の旅行)は禊(みそぎ)だね。」と言われたのが印象に残っています。
一方、海外は些かハードルが高いと言うファンの為に近ツリ社は並行して国内版の猪木塾も開催、01年に東京ベイ、02年に横浜で宿泊なしのトーク&ランチイベント、03年は箱根、04年に熱海で一泊旅行がありましたが、こちらも東京ベイしか行けませんでした。
海外ツアー中に永崎さんはよく「最終回はやはりブラジルでしょう。」、猪木塾長も「ブラジルに行くなら最低二週間は必要」と口にされており、皆で「その時は仕事を辞める覚悟で来よう」(笑)などと語っていましたが、残念ながらこちらは実現しませんでした。
猪木塾で訪れる夢は果たせなかったものの、今から11年前にブラジル視察が実現した時は感慨深かったものです(File No.373~379参照)。
猪木塾が消滅したのは2005年に新日本プロレスがユークスに身売り、そのあおりで翌年猪木事務所が閉鎖、近ツリとのパイプが切れた事が原因で、やむなく塾生の有志一同で新たに猪木さんのマネージャーとなったズッコさん(後の猪木夫人)にお願いし、連絡のつく塾生を集め不定期に一般募集なし、お忍びの国内一泊旅行や食事会をやるようになりました。闘魂猪木塾の名称使用権は旧・猪木事務所にあるので「INOKI元気塾」と称していましたが、冒頭に記したこのブログの欠番回の横浜中華街、猪木さん御用達のお店だった天外天での食事会もその一環です。
猪木さん直筆の「道」の詩は額に入れて今も私のデスクの後ろに飾らせて頂いており、私があの世に旅立つ際にはお棺に入れてもらうつもりです。
今振り返っても猪木さんと過ごした夢のような日々は人生で最も楽しく幸せな最高の思い出…私を含め全塾生たちがいつかあちらに勢揃いしますので、猪木塾の再開を楽しみにしています。
最後に今回の執筆にあたり、頼りにならない私の記憶の補完に多大なご協力を頂いた福田氏(海外国内含め全ての猪木塾を制覇した唯一の猛者!)に感謝し、この駄文を締めさせて頂きます。