FILE No. 959 「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(2)」

「リアル・アメリカン・ヒーロー~超人伝説(2)」

(前回からの続き)

83年5月、新日本プロレスの一大イベント、第1回の「IWGP」(決勝リーグ戦)
(File No.575, 682, 683 参照)がスタートしました。
80年の終わりにIWGP構想が発表された時、私を含め多くのファンは数年後に行われる決勝リーグはアントニオ猪木、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ローラン・ボックの4強による優勝争いになるだろうと予想していました。
しかしハンセンが全日本に移籍、ボックも消息不明となりトーンダウン…結局本番のリーグ戦は猪木、アンドレ、そして急成長でトップ戦線に加わって来たハルク・ホーガンの三つ巴の争いとなりました。
私は猪木とアンドレが決勝進出、猪木がアンドレから初の3カウントを奪い悲願の優勝を果たすと夢見ていました。ホーガンが「まだ早い」と思ったのはその半年前、福岡(82年9月3日)でのマスクド・スーパースター戦が印象に残っていたからで、この日のホーガンは地味ながらも実力者のスーパースターのインサイドワークとテクニックに翻弄されきりきり舞い、後半はアックス・ボンバーを爆発させて追い込んだもののリング下に逃げられ場外ドロー…ホーガンの台頭ぶりは凄いものの正直まだまだ人気先行の感を強くしたものでした。

しかしそれからわずか半年でホーガンはさらに覚醒、私の先入観を覆しました。
総当たり決勝リーグの開幕戦で猪木がアンドレに不覚の反則負けをしたのとは対照的にホーガンは難敵キラー・カーンをアックスボンバーで粉砕、完勝での白星発進で勢いをつけました。中盤の大阪で行われた大一番、猪木VSホーガンの公式戦はアンドレが介入し両者フェンスアウトのドロー、余談ですがこの日どうしても観に行きたかったものの、学校が中間テストの真っ只中とあって家から外出禁止命令が出て涙を呑みました(苦笑)。
後半の高松大会でのアンドレVSホーガンのスーパーヘビー級対決も場外リングアウトの痛み分け、リーグの星取表はアンドレが頭一つ抜け猪木とホーガンが追走する形で進んでいましたが、決勝前日の名古屋でカーンがアンドレの足を引っ張る形で殊勲の場外ドローに持ち込み、この結果アンドレは僅か1点差で脱落、決勝戦は大方の予想を裏切り猪木VSホーガンとなったのです。
今や伝説の「猪木舌出し事件」(File No.276, 277 他参照)としてあまりにも有名なこの試合、ホーガンのアックスボンバーを食らった猪木が場外に転落して失神KO負け、ホーガンがまさかの優勝、ゴング誌に「世紀の番狂わせ」の文字が踊ったように、誰も予想しなかった衝撃の結末でした。

アックスボンバーで猪木を病院送り
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)
ホーガンがまさかのIWGP優勝!
出典:『週刊プロレス&週プロモバイル ハルク・ホーガン追悼号』(ベースボールマガジン社)

それにしても、数々の関係者の証言や暴露系記事の影響で今やプロレスファンだけでなく一般人まで大半がこの時の猪木の失神は演技と思い込んでいるのが情けない限りです。
過去に何度も書いている事ですが、あの時猪木は間違いなく一時的に失神していましたよ。猪木が舌を出して失神しているシーンは映像に残っていますが、大体訳知り顔で知ったかぶりしている奴に限って肝心の映像を観ていないもので、試しに自分で舌を思いきり長く出してみればわかる事、30秒やっていたらしんどくて我慢出来なくなりますよ。猪木の舌がどの時点で引っ込んだかは映像では確認出来ませんが、どちらにせよ演技で出来る芸当ではないのです。
それはともかく、退院した猪木は「負け惜しみではないが、まだまだホーガンには負けないと自負している。体調が回復したら雪辱して見せる。」と宣言、我々猪木ファンはリベンジの日を心待ちにしていました。しかし、「地位や立場が人を変える」とはよく言ったもの、ホーガンはこの時を境に次第に、猪木ですら手が届かない程巨大な存在になっていくのです…。

IWGPから半年、年末恒例の「MSGタッグリーグ戦」でこの年も猪木とホーガンがタッグを組むと発表された時は流石に納得出来ませんでした。
いかにディフェンディングチャンピオン(前年度優勝チーム)とは言え、あの失神病院送り事件を経ているのですから二人は組むのではなく戦うべきだろうと、大半のファンがもやもやしたはずです。穿った見方をすれば猪木の体調があまり良くないからホーガンに頼らざるを得ないのか?と不安で、案の定リーグが始まると猪木が相手側に捕まり集中攻撃を受けるシーンが目立ちました。それでもこの二人が組めばやはり敵なし、猪木&ホーガン組の二年連続優勝でリーグは終了、改めて猪木が来年のIWGPでホーガンに借りを返す事を宣言し、激動の83年を締めました。

実はこの年、ホーガンにはIWGP優勝以上の、人生最大の転機が訪れていました。
IWGP終了直後の7月、ニューヨークの団体WWF(現在のWWE)がホーガンに接触、巨額の契約金を提示し極秘裏に年末からのWWF入りを内定していました。
WWFは翌84年から地盤であるアメリカ東部地区だけでなく、全米各地にマーケットを広げる壮大な侵略計画を練っていましたが、その主役としてホーガンを抜擢したのです。

いよいよホーガンが“リアル・アメリカン・ヒーロー”となる時代がやって来ました…。

(次回へ続く)