FILE No. 986 「1978年のキラー・トーア・カマタ」

「1978年のキラー・トーア・カマタ」
さて、今回の主役は“流血大王”キラー・トーア・カマタ…ってなんで唐突にキラー・トーア・カマタ!?それ以前に誰やねん、それ!?とツッコミの声が聞こえて来そうです(笑)。
一般人はもとより最近のプロレスファンですらその名を知らないでしょうが、カマタはかつて日米マットで活躍したハワイ州ホノルル出身のプロレスラーです。
風貌と“流血大王”のニックネームからもわかる通り典型的なヒール(悪役)の大物でしたが、この顔で(失礼!)趣味はレース編みと貝殻やビーズ細工を作る事(爆笑)、ホノルルにある自分のショップで販売もしていたと言うのですから人は見かけによりません。
カマタは1975年(昭和50年)に国際プロレスに初来日、以後年一ペースで登場し、エースのラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦、金網デスマッチで流血抗争を展開するなど外国人のエース的存在となりました。
そのカマタが1978年(昭和53年)、全日本プロレスに戦場を変えたのはちょっとした事件でしたが、これは“引き抜き”と言うより国際プロに筋を通した円満移籍とされています。そしてカマタは全日本初参戦でいきなりジャイアント馬場の保持するPWFヘビー級王座に挑戦する機会に恵まれました。
この時の馬場は73年に創立した同王座の初代王者として5年間で38回の連続防衛(日本のプロレス史上未だ抜かれていない大記録!)を果たし、今で言う文字通りの“絶対王者”でした(因みに馬鹿の一つ覚えで誰にでも絶対王者のフレーズを使うオキチを知っとります 笑)。
それも挑戦者はドリー・ファンク、ハーリー・レイス、ジャック・ブリスコ、ブルーノ・サンマルチノ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、フリッツ・フォン・エリック…etcと世界の超一流ばかり、一方カマタは国際でトップだったとは言え挑戦者としてはやや格落ちの感が否めず馬場にとっては安全パイ、ファン&マスコミは100%王者のV39を確信していました。
しかし世の中は何が起こるかわかりません。6月1日、秋田県立体育館で行われたタイトル戦は大荒れの流血戦の中、場外でカマタがリングに上がる為の階段で馬場の腰を殴打、実はこの時期の馬場は深刻な坐骨神経痛に悩まされており、この攻撃にキレてテレビ放送用のコードを持ち出して執拗にカマタの首を絞め、制止に入るレフェリーをもふっと飛ばしてよもやの反則負けとなってしまったのです。
全く誰も予想だにしなかった“世紀の番狂わせ”、カマタは堂々の第2代王者となりました。
この後、6月12日の愛知でビル・ロビンソンが挑戦してワンハンド・バックブリーカーで完全勝利して第3代王者となり、カマタはわずか11日天下で終わりましたが、それでも馬場の連続防衛記録を止めた快挙のインパクトは大きく、某インディバンドが「馬場はカマタに負けよった」なる曲を作って歌っていた程でした(笑)。
因みに私がカマタをテレビで初めて観たのは確か80~81年頃、ブッチャーそっくりの風貌に名前がキラー・トーア・カマタ!?トーアは東亜?カマタは鎌田?蒲田?あまりの衝撃に思わず笑ってしまいました(笑)。
その後も全日本の常連としてコンスタントに来日したカマタでしたが、「夢よもう一度!」とばかりに馬場のPWFに二度、ジャンボ鶴田のUNヘビー級王座にも二度、本家?ブッチャーとのコンビ、グレートマーシャルボーグ、タイガー・ジェット・シンとパートナーを変えて馬場&鶴田のインタータッグ王座に計三度も挑戦とチャンスを与えられたもののいずれも敗退、私が会場に通い出し毎週テレビ中継を録画するようになった頃には徐々にランクも下がり、晩年にはテレビに登場する機会も減って淋しいものでした。
心臓に疾患が見つかった為87年の来日を最後に引退、静かにフェードアウトして行ったカマタでしたが時代が平成に変わり、思わぬ形で復活する事になります。
カマタの得意技と言えば元祖・ブッチャーと同様、“地獄突き”でした。
これは空手で言う貫手で、親指以外の4本の指を突き立てて相手の喉元を突く技ですが、91年に日本テレビ系でスタートしたお笑いバラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で当時人気絶頂のとんねるずが「トーア・カマタ!」と叫びながらこの技の真似をやり出したのです。
テレビの影響は絶大で、全国の小中生や若者がこれを真似するプチ“カマタブーム”が起こりました。ネット検索もまだ無い時代、キラー・トーア・カマタなど知る由もない子供たちが「トーア・カマタ!」と叫びながら地獄突きを繰り出す現象、昔も今もあまりお笑い番組は観なかった私ですが、ブームに乗り遅れぬよう会社で「トーア・カマタ!」をやって同僚や後輩のヒンシュクを買っていたものです(笑)。
この反響に気を良くした日本テレビから全日本プロレスにカマタ本人を招聘したいと相談がありましたが、本人の体調や激やせした姿をファンに見せたくないと言う配慮から馬場は首を縦にふらなかったそうです。
同番組内で木梨憲武が主役の「仮面ノリダー」と言うミニドラマのコーナーがあり、ある回で石橋貴明扮するトーア・カマタ男なる悪役が登場しましたが、もし来日が実現していたらカマタ本人がこの役をやっていたのでしょう。それにしてもカマタは日本の子供たちの間で人気者になっていた事を知っていたのでしょうか…?
2007年に心臓発作で70年の生涯を終えたカマタでしたが、1978年、無敵の馬場に勝利しPWFヘビー級第2代王者となった栄光の記録は永遠に残ります。
天国で趣味のレース編やビーズ細工作りを思いきり楽しんで欲しいものです。
令和になって突然のキラー・トーア・カマタ、昔のプロレスラーについて書きだすとそれだけで100人、つまり100回(約2年分)ぐらいブログが書けそうです(笑)。
つまりまだまだネタは尽きる事無く、私が死ぬ27年後まで連載は続くでしょう、末永くお付き合いください。





