FILE No. 819 「超飛龍50周年(2)」
「超飛龍50周年(2)」
1971年5月9日にプロレスラーとしてデビューした”炎の飛龍“藤波辰爾(当時は辰巳)選手は2021年に50周年を迎えました。
1年がかりの50周年記念ツアーは同年11月の東京・後楽園ホール(File No.765参照)からスタート、翌2022年5月には再び後楽園、(File No.793参照)、10月に福岡と我が地元・大阪(File No.813参照)と思い出の地を回り、途中藤波さんがコロナで欠場(5月)のアクシデントはあったものの12月にファイナルを迎える事になりました。
最後の舞台となった国立代々木競技場はプロレスで使用される事自体が珍しく私も初訪問でしたが、実は過去に一度だけ行くチャンスがありました。
1996年12月1日、同会場で「INOKI FESUTIVAL」なる特別興行が開催され、メインにはアントニオ猪木と8年ぶりに復活した海賊亡霊、ザ・ガスパー
(File No.401,601参照)の最終決着戦が組まれたのです。
海賊に思い入れの強い(笑)?私には絶対見逃せないカードで何としても行くつもりでしたが上からの圧力で(苦笑)仕事に駆り出され(それも休日出勤!)断腸の思いで断念せざるを得ませんでした。あの悔しい思いから26年の歳月を経て、しかも当時と同じ12月1日にようやく訪れる事が出来た国立競技場、残念ながらそこに猪木さんは勿論、ガスパーも(笑)いませんでしたが感慨深いものがありました。
日が落ちて既に暗い道を歩き会場に到着すると黒山の人だかり、それも若い女性が多くて驚きましたが、これは皆第一体育館でやっているコンサートに行く人たちでした(苦笑)。来るまで知らなかったのですが国立代々木競技場には第一と第二の2つの体育館があり、大きい方の第一ではこの日海外から来たアイドル?(誰だったか名前聞いたけど忘れた)のイベントがあったのです。人の群れを横目に同じ敷地内の第二体育館へ…キャパでは劣るもののこちらも多くの熱心なプロレスファン&藤波ファンが集結していました。
誰とは言いませんが、俺は藤波ファンと公言していながら50周年ツアーに一度も来なかった何処かの輩に爪の垢を煎じて飲ませたいものです(笑)。
会場前でプロレス評論家として名高い流智美先生と、コロナ前以来約3年ぶりにお会いしました。
プロレス談義の中で、50年間プロレスラーを続けた選手(但し途中一度も引退していない事)は世界に何人ぐらいいるのか?と言う話となりましたが、恐らくルー・テーズ、ミル・マスカラスを含め数人だろうと言う結論に達し、改めて藤波さんの大偉業を実感しました。
この日のメインは藤波さんと新日本プロレスのエース、棚橋弘至選手の時空を超えた一騎打ち、5月の大会で「50周年のファイナルでは久しぶりにシングルマッチをやりたい」と宣言した藤波さんに棚橋選手が対戦表明し、ドリームマッチが正式決定しました。
もっとも、厳密にはこの両雄のシングルは二度目だそうで、日本一のドラゴン信者、根本さんの受け売りですが前回は2002年10月の後楽園で実現しているとの事(藤波さんが返し技でフォール勝ち)、テレビマッチだったので私も視聴しているはずですが全く記憶にない…にわかですみません(苦笑)!
いずれにせよ藤波さんに憧れてプロレスラーとなった棚橋選手にとっては20年ぶりに最高の舞台で再戦のチャンスが訪れたわけですが、その姿はかつて憧れの猪木さんに挑んだ藤波さんがだぶりました。
メインの前には長州力、武藤敬司、蝶野正洋、藤原喜明、北沢幹之各氏と、かつて同じ釜の飯を食った戦友たちが続々とリングインし藤波さんを祝福しましたが、実は藤波さんの翌年(1972年11月12日)にデビューした藤原組長もデビュー50周年なのです!! 2007年に胃癌の手術、その後数年間の欠場期間はありましたが、今も元気で現役生活を続行中、藤波さんもそうですが、アントニオ猪木&カール・ゴッチの弟子は凄いの一語に尽きます。
いよいよこの日の主役の入場、ここで流れたのは藤波さんが85~86年まで使用した「マッチョドラゴン」…ん?なんでこの曲なのかと思ったら一転して平成時代の「RISING」→「超飛龍」、そして元祖の「ドラゴンスープレックス」へと変わりました。
歴代主要テーマの4曲合体!と思ったら更に最後は猪木さんの「炎のファイター」!
まさかの5曲合体、しかも入場して来た藤波さんは真っ赤なガウン、この意気な演出には涙が出ました。
夢の対決はロックアップから始まりグラウンド(寝技)に持ち込む静かな立ち上がりで始まり、藤波がドラゴンバックブリーカーから永遠のライバル、長州のサソリ固め、自身が元祖のドラゴンスクリュー、必殺のドラゴンスリーパーホールドを繰り出すもロープブレークで難を逃れた棚橋がスリングブレイドで逆襲、素早くトップロープに駆け上がるとスタンディング状態の藤波にハイフライアタックを投下、これは何とかカウント3寸前で返した藤波でしたが、とどめのハイフライフローの前に力尽き終了しました。
新日本プロレスの原点である野毛の道場(元々猪木さんの自宅だったのを改造)で徹底して行われた基本のレスリングを重視し、大技は乱発する事なく確実に決める、自分が好きな試合を久しぶりに観る事が出来て満足しました。本来、自分の50周年ファイナルに猪木さんに来場して欲しいと願い続けていた藤波さん、その夢は叶いませんでしたが、そのファイトぶりは天国に届いた事でしょう。
(藤波辰爾デビュー50周年記念大会の模様はこちらをクリック)
感動の余韻も冷めぬまま翌日は奈良に移動、太田裕美さんがゲスト出演するコンサートに行って来ました。会場の大和高田さざんかホールは2010年の3月のなごみーず以来12年ぶりでしたが、アロージャズオーケストラと東京キューバンボーイズの2大ビッグバンドとの共演によるステージを楽しみました。藤波さんと同様、裕美さんもデビュー50周年が目前、記念ツアーが楽しみです。