FILE No. 857 「テキサス・ブロンコ(2)」

「テキサス・ブロンコ(2)」

(前回からの続き)

81年、全日本プロレスと新日本プロレスの間で仁義なき外国人選手の引き抜き合戦が勃発(File No.684685 参照)、その余波でアブドーラ・ザ・ブッチャーが去り、代わりにスタン・ハンセンがテリーのライバルとして登場しました。
タッグでは“超獣コンビ”スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディがザ・ファンクスの相手となりましたが、全盛期の超獣コンビはかつてのブッチャーやシークのような凶器や反則攻撃ではなくパワーとラフファイトでファンクスを圧倒、私も心情的にはファンクスを応援していたものの、既に峠を過ぎつつあった二人には荷が重いと正直感じていました。
テリーがぶち上げたアントニオ猪木との引退試合はやはり夢物語に終わり、最後の相手はハンセンが務めましたが(ザ・ファンクス VS スタン・ハンセン&テリー・ゴディ=83年8月31日蔵前)感動的なラストに日本中が泣きました。

「テキサスの化石になれ!」と暴言を吐きテリーを圧倒したハンセン
日本中が涙にくれた引退試合だったが…
引退試合から10年後、大仁田厚とデスマッチ(93年5月5日)

そしてわずか一年後に起こったまさかのカムバック劇…あれほど人気絶頂、大々的かつ感動的な引退だった為、多くのファンは騙されたと絶望して去って行った…あの40年前の引退&復帰騒動は今日(こんにち)そのように総括される事が多いのですが、実際はどうだったのでしょう? 当時はSNSが無かったのでファンの反応がストレートにわかりにくかったのですが、試合会場では再び親衛隊も復活、相変わらずの人気ぶりでした。勿論しらけて去って行った人も一定数いたでしょうが、少なくとも現場でブーイングが飛んだり、冷たい拒絶反応は皆無でした。ただ、テリーにとっての誤算は復帰後の全日本のリングが長州率いるジャパンプロレスと業務提携(85年~)や天龍革命の始まり(87年~)などで日本人対決が主流となった事で、テリーは主役の座を追われ次第に来日回数も減り、かつての熱狂が信じられない程、人気は暴落していきました。
当時からテリーの追っかけだった大隅大社長にお聞きした忘れられないエピソードですが、ある日ホテルのロビーで出待ちしていたら、テリーは全盛期の10分の1以下のファンの人数に「たったこれだけしかいないのか?」とショックを受け涙を流したそうです。
このプロ魂、入待ちや出待ち、プライベートでのファンサービス禁止をルール化している某殿様商売団体に爪の垢煎じて飲ませたいですね(苦笑)。
再び自分が輝く場所を見つける為、テリーは愛する全日本と決別、平成以降はインディ団体を転戦しデスマッチにも挑戦するなど、これまでとは違う一面を見せましたが、実はアメリカでのテリーは地元アマリロ以外のテリトリーでは大ヒールでした。
テリー人気がピークの70~80年代はマスコミの自主規制で日本のファンにその事は伏せられており、日本のファンは平成になってようやくテリーのもう一つの顔を観る事が出来ました。

リビング・レジェンド(生きる伝説)と呼ばれるようになったテリーは、「引退」する事なく、生涯現役のまま天に旅立ったのです…。

突然の訃報に立ち直れませんでしたがスケジュールは待ってくれず、週末は私にしては珍しく新日本のイベントでリアル聖帝ツアーに初参加、翌日は赤井沙希ちゃん、東京&名古屋のダブルヘッダーを観戦しました。
後楽園での沙希ちゃんはデビュー10周年記念試合で男色ディーノとシングル対決、鼻骨骨折から復帰したばかりのディーノの顔面に非情のキックを連発しレフェリーストップ、普段は見せないキラーぶりを発揮して勝利しました。

大隅大社長はテリー追悼セレモニーにご本人着用のジャンパーを持参、後方には沙希ちゃんの姿も…

試合が終わると大急ぎで名古屋への移動ですが、なんとテリーの古巣でもある全日本への初参戦、それもイラプションで保持するKO-D6人タッグ王座を賭けて全日本プロレスTV6人タッグ王者のATM&大森隆男&ブラックめんそーれ組とダブルタイトル戦が実現、自ら勝利しタッグ二冠王者となりました!全日本プロレス51年の歴史で女子選手がベルトを巻くのは史上初、初参戦&初挑戦&初王者の快挙となりました。
当然この日はテリーの追悼セレモニーがあり、館内に懐かしい「スピニング・トー・ホールド」が流れ涙を誘いました。テリーをリアルタイムで知る由もない沙希ちゃんも参列していましたが、彼女は一度引退したら復帰は絶対にないと断言します(笑)。
休憩時間にロビーに出ると大隅大社長を発見、無言で握手してそれからソファーに腰を下ろして延々とテリーの思い出話が続きました。
翌週29日は上野にてこの月2度目のDDTビヤガーデンプロレス、既報通り二週間前には新幹線に9時間も閉じ込められた嫌な思い出が脳裏をよぎりましたが(苦笑)この日はノープロブレム、前回は大遅刻で間に合わなかった沙希ちゃんの撮影会にも参加出来て溜飲が下がりました。
(この期間のツーショット集 こちらをクリック)
(赤井沙希 ツーショット集 こちらをクリック)

訃報から時間が過ぎましたが猪木さん同様、今でもふとしたはずみでテリーの事を思い出し何とも切ない気持ち

IWAジャパン参戦時

になる事が頻繁にあります。
テリーとのツーショットは生涯で三度だけ、95年頃のIWAジャパンでの会場、2015年のハードロックカフェ横浜、そして2016年アメリカでのイベントが最後となりましたが、
多感な少年時代にどんな困難にも立ち向かう不屈の精神を教えてくれたヒーローを目前にして感動しました。

偉大なるテキサス・ブロンコに引退試合で叫んだ名言、「FOR EVER!!」を送らせて頂きます。

ハードロックカフェ横浜にて
最後のツーショットはテキサス州ダラス!