FILE No. 995 「格闘技世界一決定戦(8)」~アントニオ猪木VSモハメド・アリ 50周年記念~

「格闘技世界一決定戦(8)」~アントニオ猪木VSモハメド・アリ 50周年記念~
本日は6月26日、“格闘技世界一決定戦”アントニオ猪木VSモハメド・アリの一戦から50周年の日です。
あの世紀の一戦からとうとう50年が過ぎたのかと思うと感慨深いですが、今思えばこの試合を単に“異種格闘技戦”でなく、“格闘技世界一決定戦”とネーミングしたのが秀逸でしたね。恐らく新間さんあたりの仕事と思いますが、本当にこの二人の対戦こそ“格闘技世界一”と呼ぶに相応しいですよ。
この試合に関しては(File No.177)を皮切りに(File No.382)(File No.480)、45周年の年にも(File No.736~739)と、もう書き尽くした感があります。これまで雑誌の特集や検証本の類も多数出ているので、今更私ごときの出番は無いのですが50周年を節目として恐らくこれがファイナル、総集編をお届けします。過去ブログを参照しながらお読みください。
この試合の実現のきっかけとして伝わっている定説は1975年3月、アリがアメリカで八田一郎氏(日本アマレス協会会長)に「日本の格闘家で俺に挑戦する者はいないか?100万ドルを賭けてもいいぞ。」と発言、帰国後八田氏がサンケイスポーツの記者に話して記事となり、それを目にした猪木が名乗りを挙げたとなっていますが、事実は少々(かなり)違います。
75年3月7日付けのサンスポを要約すると、「アリが三億円を賭けて日本人選手と対戦しようと言い出した。八田会長の前で日本人の有望選手を自分の手で育てタイトルマッチをやりたいので良い選手を紹介して欲しいと頼んで来たのだ。」
これを読むとアリが求めているのはあくまで日本人ボクサーであり、それも自分が育てた選手と戦いたいと言っていたのです。しかもこの記事には何故かジャイアント馬場とアントニオ猪木、二人のプロレスラーのコメントが掲載されていました。
「三億円なんていらないよ、あんな手袋つけて何が世界一だ、素手でやろうじゃないか。」(猪木・談)
後に二人の試合は本当に実現したものの、アリの記事を読んだ猪木が立ち上がったと言う話は厳密には間違いです。
後年知った話ではこの頃のアリは財政難だったようで、海の向こうから全日本プロレスにも異種格闘技戦の話が持ち込まれており、馬場はアリの対戦相手として桜田一男(後のケンドー・ナガサキ)を想定していたとの事、興行的価値が高い自分やジャンボ鶴田でなく何故あえて地味な中堅だった桜田をリストアップしたのか?勿論異種格闘技戦と言ってもエキシビションの域を出ないものだったでしょうが、万一リアルファイトになった時の為にセメントで定評があり、喧嘩最強と言われた桜田なら安心と考えたのかもしれません。
アリの依頼を受けて帰国した八田氏はテレビ朝日の永里高平氏に相談、驚くべき事に永里氏が発案したのは、アリVS高見山、ボクシングVS相撲の異種格闘技戦でした。
交渉は水面下で進んでいましたが、テレビ朝日の天皇と言われた三浦甲子二氏(永里氏の上司)から話を聞きつけた猪木が政治力を駆使してこの一戦を横取り(笑)?紆余曲折あって、結局猪木VSアリが実現したのです。
ミスター高橋氏が著書で書いたエピソード、(以下要約)「来日したベアキャット・ライトがアリがプロレスラーと試合をしても良いと言っていた。私(高橋)がそれを猪木さんに伝えると「俺がやるよ。高橋、何とかキャットに交渉して貰ってくれよ。」
キャットはアリ側に国際電話をかけ、帰国後も交渉を続けると約束してくれたがいつしか音信不通になってしまった。アリが日本人と戦っても良いと発言したのはそれから暫くしての事だった…。」 これは完全な創作話で、アリ発言は前述の通り75年3月、それならベアキャット・ライトの来日は75年以前で無いと辻褄が合いませんが、調べてみるとライトが来たのは75年12月ですから時系列が滅茶苦茶です(笑)。
とうとう実現した夢の対決は今、公平に見ても猪木に不利ながんじがらめルールだったとは思いますが、もっと制約の少ない形でやっていてもお互いの恐怖心を考えれば膠着状態が続いた気もするし、決まったルールでリングに上がったからにはIFは無いと思います。
しかし、まだ小学生だった私にあの試合が理解出来るはずもなく、がっかりしたのだけは間違いありませんでした。
75年の1月からプロレス中継に目覚め猪木ファンになった私ですが、以前にも書いたようにその後数年間プロレスから離れてしまった時期がありました。
昔の熱が再燃し、80年代に再び戻って来てからはプロレス雑誌を購読、とうとう会場通いとマニア化の一途を辿り現在に至りますが、未だにあのブランク期間を後悔しています。あんなに夢中だったプロレスから離れてしまった理由、子供特有の飽きっぽさ、他にも興味の対象が多かった事などもありますが、今思えば猪木アリ戦こそがプロレスに冷めた引き金になった気がしています。それが証拠に75年1月~6月にかけての事(勿論当時はテレビだけの情報ですが)は割合記憶が鮮明なのに、猪木アリ戦を分岐点としてその後の印象が殆ど無いからです。
あの試合への期待があまりに大きすぎ、それだけに不完全燃焼で終わった事が子供心にショックでした。私の心をプロレス離れさせてしまったのですから、あまりにも罪作りな一戦でした…。
以前にも書いたように試合以上に私が印象に残っているのは本番3日前にテレビで生放送された調印式でした。インタビュアーが街の人々に結果予想を聞くコーナーがあったのですが、日頃はサッカーや野球に全く興味も無いくせにワールドカップやWBCになると大騒ぎして日本を応援する連中(今年のWBCはネットフリックス独占配信となって痛快でした 笑)がこの時は殆どが「アリが勝つでしょうね」と口にしていたのです。猪木さんがずっと戦い続けて来た世間の偏見、子供心に(こいつら日本人の癖に猪木を応援しろよ!)と怒りを覚えました。思えば私が最初に「愛国心」を自覚したのはこの時だったかもしれません。
今後100年経っても絶対に実現しない世紀の大一番、なんだかんだ言ってもあの試合をリアルタイムで経験で来た事は最高に幸せでしたよ。
猪木さんもアリも旅立ちましたが、今夜は50周年を記念してじっくり試合映像を観ながら涙にくれます…。
【 訃報 】
元プロボクサーで日本人初のWBC世界ライト級王者、ガッツ石松さん(76歳)が6月2日、肺炎でお亡くなりになりました。
78年に引退後はタレント&俳優として数多くのテレビ、ドラマで大活躍、私などは世代的にそちらの印象が強いです。ボクシングからタレントに転向し成功された方は具志堅用高さん、渡嘉敷勝男さん、赤井英和さん…と数多いですが、まさにその草分け的存在で個人的には「ウルトラマン80」(第32話)、「ウルトラマンティガ」(第46話)にゲスト出演してくださったのが嬉しかったです(笑)。プロレス界との関りも深くアントニオ猪木の異種格闘技戦ではアノアロ・アティサノエのセコンド兼コーチ、またレオン・スピンクス戦ではレフェリーも務めました。
心よりご冥福をお祈りいたします。




