FILE No. 817 「恋人たちの100の偽り」

「恋人たちの100の偽り」

厳しい寒さが続く毎日ですが本日1月20日は今から16年前、このブログがスタートした記念日です(拍手~!笑)。 
最初は半年ぐらいでネタが尽きて自然消滅かと思っていましたので、まさか16年後の今日(こんにち)まで続き連載800回を越えるとは、何より自分自身が一番驚いております。
そして1月20日と言えばもう一つ忘れてはいけない、この日は我らが歌姫、太田裕美さんのお誕生日です(またまた拍手~!)。
元々ブログをスタートさせる時に折角ならと裕美さんの誕生日に合わせたわけですが、そこで今回は実に久々の太田裕美・名曲シリーズ、「恋人たちの100の偽り」を取り上げて見ます。

1977年12月21日に発売された裕美さん通算10枚目のシングルで、作詞が松本隆、作曲が筒美京平とデビュー曲の「雨だれ」(FILE No. 456,564参照)から代表曲の「木綿のハンカチーフ」(FILE No.158,531 参照)を含む、この時代のシングル曲を全て担当した黄金コンビによる作品です。
この一つ前が有名な「九月の雨」(FILE No. 293,495,599 参照)(77年9月1日発売)で、「恋人たちの100の偽り」を挟んで翌78年が「失恋魔術師」(3月21日発売)、「ドール」(FILE No. 438 参照)(7月1日発売)と続き、この「ドール」の時に私は突如?裕美さんのファンになり初めてレコードを買いました。

コンサートでは何故か封印されていた
「恋人たちの100の偽り」

勿論、大のテレビっ子だったので当時全盛だった歌謡番組やバラエティは欠かさず、裕美さんの事はデビュー直後の早い時期から知っていました。
従って「九月の雨」や「失恋魔術師」は聴き覚えがあったもののその狭間の「恋人たちの100の偽り」だけは何故か全く印象が無かったのです。
高校生の時(81年12月)初めてコンサートに行き、その後裕美さんの渡米や結婚&出産、そして自分自身が社会人となった事などで途中ブランクはあったものの30年以上も続く事になるコンサート通いの中でも、不思議とこの曲だけは一度も聴いた事が無く、アルバム内の作品ならともかくシングル曲でここまで歌わないのは極めて異例です。

77年頃の裕美さんは年間150本(!)のコンサートに加えテレビ&ラジオ出演、そしてレコーディングに取材と文字通り寝る間もない程の忙しさで、あまりの殺人スケジュールに歌手の命とも言える喉を傷めてしまいました。ファンになって後年に裕美さんが喉が原因でダウンした事があると言う話を耳にしましたが(入院したとの説あり)それがまさにこの時期で、それでも仕事に穴は空けられず、本調子に戻らないままで「恋人たちの100の偽り」のレコーディングは強行されました。しかし大衆は正直なもの、裕美さんの不調を敏感に悟ったのか?裕美さんのこの時期の曲としてはセールスは振るわずオリコンのヒットチャートは最高で27位に終わりました。一つ前の「九月の雨」が最高7位の大ヒットだった事を思えば不振と言わざるを得ず、テレビっ子の私でも記憶が無いはずです。
これまで殆どの曲が20位以内にランキング入りしていた裕美さんでしたが、結局それも「九月の雨」が最後となり、「恋人たちの100の偽り」の次の「失恋魔術師」が22位、「ドール」も21位だったので、古いマニアからは「“恋人たちの100の偽り”から太田裕美不遇の時代が始まった。」と言う厳しい評価もあるようですが、裕美さん自身も喉を傷めて思い通りに歌えなかったこの時期は心のトラウマになったようで、この曲を歌わなくなってしまったのです。

時は流れ2014年、裕美さんが遂に封印を解く日が来ました!
デビュー40周年記念のコンサートで(恐らく)約36年ぶりにこの曲を披露してくださったのです。やはり喉を傷めた辛い思い出が原因と歌わなくなった経緯をさらりと話されましたが、身近な関係者の中に「実は自分はこの曲が一番好きだった」と言う人がいてはっとしたそうで、「こんなに思い入れを持ってくれている人もいるのに自分勝手に封印してしまって良いのか」「自分の曲は子供のようなものだから最後まで責任を負わなければならない」と反省したのだそうです。
私の場合、勿論ファンになってからは何度となくレコードやCDで聴いたものの、前述のようにリアルタイムの記憶が全く無いうえライブで聴く機会が無かった事もあり、特にこの曲に思い入れはありませんでしたが、初めてライブで拝聴すると心なしか当時の裕美さんの哀しさが滲んでいるような何とも切ない、まさに隠れた名曲と実感しました。
皆様も是非一度お聴きください。4年前のデビュー45周年記念コンサートでも再び歌ってくださったので、次の機会はいよいよ来年に迫った50周年!? ・・・極めて個人的な、出来ればあまり当たって欲しくない予感ですが50周年を最後に裕美さんがマイクを置きそうな気もしていますし、どちらにせよ残された時間は少ないでしょう。この曲に限りませんが、後に悔いを残さぬ為にも思う存分歌って欲しいものです。

最後に、もし私に松本隆先生並みの作詞能力があったら・・・「包装業界100の偽り」と言う曲を作りたいです(笑)。